【想像力】

黄色い塗料が塗られている

パーツは合計8つある。

それぞれを眺めたら意味を成さない形である。

書かれた当時はちゃんとした意味を持った標識としての記号だった。

この配置で残っているので、意味の残像を想像力で補うことができる。

画像を上下逆さ・左右反転してみた。

こうなると、標識としての認識より文字として頭の中で組み立て理解しようとするが、それは無意味であることにすぐに気付く。

記号としてのイメージが崩壊していき、黄色いパーツの正体が見えてくる。

2020/02/25


【喫茶と食事】

コーヒーとごはん

2020/02/24


【触れる】

御堂筋の彫刻です。

裸の女性がこの寒空にに立たなくても良いと思いますが、しれっと立っています、二人一緒に。

ただ、二人の手が触れそうで触れないこの状態が 彫刻として良いと思います。

 

もし仮にそこがポイントの作品なら、これは裸婦である必要がない。

男同士でも良いし、男女でも良い。

それに着衣で十分良い。

この作品において、裸婦である事が作品を甘くしている。

ねらいは良いが、そういう意味で残念だ。

巷には裸婦像が氾濫している。

なぜかなあ。

もしも、世の中が街頭に立つ女性の裸を こんなに欲して こうなるのなら困ったものだな。

 

触れるということは、おそらくコミュニケーションの方法として自然な行為だろう。

いくら親しくても、触れたこともない相手はバーチャルリアリティの世界の人だとも思う。

だから人は握手やハグをしたがる。

自分自身と他者の存在を触覚で感じたいのだろう。

一人では寂しいからかもしれない。

2020/02/22


【登録商標・切味・剛光・保証・こぶ切狭・小・¥2200・現金正価】

こぶ切狭]という[食い切り]のような形をした古道具を見つけ安価で買った。

先が円弧形をしていて初めて見るものだ。

調べてみると「こぶ」は「瘤」のことで、盆栽のこぶを切り取る道具だとわかった。

今のところ盆栽の趣味はないので その用途で活用することはないが、これの出番はありそうな気がする。

道具にはいつも惹かれる。

使い方を考えるのも楽しい。

2020/02/21


【山崎診療所】

ガムテープが絵筆のようなタッチで貼られている。

 

絵画に「コラージュ」という技法があるが、それとはちょっと違う素材の扱い方だ。

コラージュでは線ではなく、つい面を意識してしまうからかもしれない。

 

視覚的な効果ではなく、実用的な目的でこのテープは用いられているはずだ。

しかし、逆に実用性よりも視覚的な発言が感じられてしまうところが興味深い。

ホワイト修正の白がかえって目に付くことにも似ている。

2020/02/19


【利き手】

住人はおそらく左利きだと思う。

2020/02/18


【シャボン玉】

Trioplan 1:2.8/100 はシャボン玉ボケが有名で、ちかごろ巷で人気が高まってるようだ。

こいつがまだ無名だったころ安価で買った。

このレンズはなぜか春になると活躍する。

近所の家の塀から垂れ下がるこの枝を毎年撮るけど、今年はTrioplanで撮った。

お手本のようなシャボン玉にはならなかったが、独特の写り方をする。

写真作品を撮ろうなんて意気込みからではなくて、レンズと一緒に散歩した。

ものがこんなふうに写る・・・ということだけでもう十分楽しい。

2020/02/15


【臭い(くさい)臭い(におい)】

正方形は矩形の円みたいなものだ。

こういう言い方はおかしいけど、方形のシンプルな形、極限の矩形と言う意味で円に近い存在だ。

斜めになったらわかるけど、横になっても形が変化しない。

その点、正円は斜めになっても逆さになってもその形が変わることがない。

円は完全な形、と言う所以だな。

 

緑色の物置が建っていたので真半分の構図で撮ってみた。

このように説明しないと状況がわからない写真だ。

緑色の色面の手前に木の枝が伸びて、濃い緑の葉っぱを垂らしている。

左右二つの世界がこの葉っぱによって説明される・・・というくさい演出だが、こうしないと単なる合成写真に見えてしまう。

そういう際どい関係を撮りたかったので、これはこれで成功していると思っている。

なんというか、あれだね。

どうしても必要なくささ、臭さの必然だな。

2020/02/13


【曲がり角】

円いフォーマットが見つけ出す風景。

四角いかたちでは見つからない風景。

2020/02/11


【ガラス質と絞りの形】

 

レンズの ガラス質 と、 絞りの形 が写った。

2020/02/11


【遠景・中景・近景

画面を真半分に割るのは感心しない構図だとよく言われ、嫌われる。

しかし、半分で割らないとただの写真みたいになってしまうので、 僕はよくこの手を使う。

2020/02/10

 


【接点を見つける】

円周に接する点を被写体から見つけ、円内のバランスを整える。

そうすると1枚の円形写真が撮れる。

矩形の場合は辺に接する、あるいは平行に近づく「線」を見つけようとするが、円の場合は「点」だ。

2020/02/09


【螺線形と円形】

形がはみ出さないように円く収まる被写体に出会うことがある。

矩形で捉えるか円形で写すかと考えたら、ぜったい円形で撮る。

円形でまとめるための被写体は案外あるものだ。

2020/02/07

 


【求心力と遠心力】

中心から外に、外から中心に向かう線 を被写体の中に見つけてみる。

正円にとって中心は最も重要なポイントだと思う。

 

2020/02/04


【中心を通る直線】

中心を通る線状の被写体を見つけて対象を整理すると 自然と円形が意識される。

正円の中にすでに存在する線がこの位置にある、ということなのだろう。

円形写真を撮ることは、円いかたちの内側にある線を 被写体の存在を借りて見つけ出す作業だと思わぬでもない。

2020/02/04


【上方・下方のない面のイメージ】

四角い写真では上方・下方を意識する。

おそらく「横」「縦」という矩形の持つ辺の方向性が水平・垂直をイメージさせるためだろう。

円形(正円)には横・縦がない。

円はどちらから見ても「円」であり、形の方向性がないのだ

円には面が似合う。

と、ここまで書いて、色盲検査表を思い出した。

 2020/02/04


【円周と中心】

三角形・四角形・五角形・六角形・・・というふうに角数を増やしていって、無限角形というようなものがあるとしたら、それが「円」だ。

いや、「角形」という段階で、無限角形は「円」ではないのだろう。

円は「完全に円」でないといけないから。

 

エッシャー(1898-1972)の版画作品[円の極限・Ⅰ/1958]は白と黒のユーモラスな基本形が円周に向かって規則正しく縮小されていくもので、円の輪郭に向けて無限に続く縮小の継続を感じさせる。

それは縮小に要する時間、終わりのない時間の継続といってもよいだろう。

終わらない継続・・・この絵のそういう怖さが好きだ。

 

円には円周があって、中心がある。

無限角形の「角」の部分から内側に向かう同じ長さの場所が中心だ。

そうそう、無限角形は円ではないけれど、無限角形にも円と同じように中心があるということだ。

2020/02/04


Kern-Paillard  PIZAR 1:1.9  f=26mm  Switzerland
Kern-Paillard PIZAR 1:1.9 f=26mm Switzerland
Kern-Paillard  PIZAR 1:1.9  f=26mm  Switzerland
Kern-Paillard PIZAR 1:1.9 f=26mm Switzerland

[病円]

円というのは完全な形なので、円周が欠けたものを「病円」というのだそうだ。

円が病む・・・つまり病気の円ということだな。

 

Kern-Paillard  PIZAR 1:1.9  f=26mm  Switzerland というCマウントのレンズを買ったので、今日それの試写をした。

「病円」状態を太陽の位置を使って作ってみようと思ったが、なんともまた大袈裟な色収差やゴーストが発生する

閉じた円の世界に小さな穴から光が射した感じだ。

 

【註】

ブルーノ・ムナーリ かたちの不思議「円形」平凡社 阿部雅世 訳

「円周が、ほんのわずかに切れている円のことを、完全性を欠いた円「病円」とよびます。円周についた小さな傷が、円の持つ永遠性を損なってしまうからです。この「病円」が生む様々な問題は、円の不思議を解明するための重要な糸口でもあります。」(抜粋)

Kern-Paillard  PIZAR 1:1.9  f=26mm  Switzerland
Kern-Paillard PIZAR 1:1.9 f=26mm Switzerland

 周辺部の光量不足、そのグラデーションは緩やかである。

上部に予期しない光の翳りが写った・・・。

アンテナの先端と雲の接点が この写真の中心、つまり円の中心だ

2020/02/02


ブルーノ・ムナーリ かたちの不思議「円形」平凡社 より
ブルーノ・ムナーリ かたちの不思議「円形」平凡社 より

【トンド】

今のような円形の写真を撮り始めてから、トンド(tondo)と呼ばれる円形絵画の存在を知った。

ボッティチェリ・ミケランジェロ・ラッファエロなど、ルネッサンスの巨匠も円い絵の形式で作品を残している。

多くは聖母子をモチーフに描かれたもので、円い形を十分に意識しそれを活かしながら制作されている。

 

ボッティチェリ(BOTTICELLI 1445-1510)の「幼いキリストを抱く聖母」は、テンペラによる直径1200mmほどの板絵である。

この作品では、聖母の頭上に小さな太陽が描かれてあり、その太陽は円周のラインをはみ出した位置で配置され、そこから直線上の光が放たれている。

この太陽へ向かう人々の視線や人物の動きが 円形という支持体を強調し、円い形の発展形態でもある球体をもイメージさせる。

円形が完全で神聖な形であるという古代からの考えが絵の主題と密接に関わっている。

この作品のように太陽を円周上に描く例は他にも見受けられるが、円形を意識させる手法として役立っているように思う。

 

円周に重なるように描かれた「円周上の太陽」あるは「円の輪郭線上にある太陽」に惹かれる。

それは、円形の 内(うち)と外(そと)を意識させるせいかもしれない。

 

 

絵の中に二つの「点」がある。

一つは太陽であり、もう一つは書物(おそらく聖書)である。

二つの点を意識しながら象徴的に絵が構成されている。

人物の隙間から見える風景が、球体のような遠近感を思わせる。

2020/02/01


[自分自身を写すレンズ]

いつも撮影する場所、V字カーブ。

レンズを変えるとまた違う味わいがある。

円周周辺の光の屈折と滲みの状態が、レンズそれ自身を写しているかのようでもある。

2020/02/01