今朝もまた蝉の抜け殻を見つけた。
夕方にはいなかったから、夜中のうちに羽化し、早朝に飛び立ったのだろう。
そういう時間帯を必ず選んで出てくるのは、神秘的というか宇宙的というか、生命の不思議を感じる。
1年から5年(蝉の種類によって違うようだ)地中にいて、成虫になるのは30%程度の確率らしい。
「7年7日」7年地中にいて、7日間で死んでしまう・・・と幼いとき教わったけれど、最近の研究では10日から1ヶ月生きるらしい。
2025/07/16
今朝、蝉の抜け殻を見つけた。
声はまだ聞かないが、活動を始めたヤツがいるようだ。
抜け殻が徐々に増えて、いずれ合唱が始まることだろう。
自分の耳の中では絶え間なく蝉の声がしている(耳鳴り)から、これからの大合唱はにぎやかだ。
うるさいと思うが、それなのにヒグラシの季節になると妙に寂しさを感じる。
季節の変わり目、というのは感慨を生むものだ。
2025/07/15
葛(くず)のツルが植物を覆い隠してしまっている光景に出会う。
葛はマメ科の多年草だ。
繁茂力が高く除草剤にも強いという。
樹木の枝に巻き付いて木の生育を妨げ、ついには枯死させ森林全体を衰退させてしまうこともある。
恐ろしい雑草だ。
つる切りをしないといけない。
とはいえ、ムカシはこのツルで農作業用の道具を作る材料などとして生活に役立つ植物でもあった。
薬草(発熱作用/解熱作用/鎮痛作用など)として用いたり、葛粉の原料にもなり葛餅・葛切りなどを作ったりする。
人間にとっては有り難いツル植物でもあるのだ。
だから、荷造りにはこのツルを使い、葛根湯や葛餅の生産にみんなが励むといいように思う。
しかし、そんなものでは追いつかないほど生命力があるので、このようにはびこる。
ほどほどを知らないわがままな植物だ。
まあ、人間もそのたぐいの生き物ではある。
2025/07/14
徘徊していて、立派なお屋敷の瓦塀に大黒様を見つけた。
こちらに背を向けて座っていらっしゃった。
お屋敷にむかって満面の笑みを浮かべておられるはずだ。
その表情すら写せない。
ペンタックスのプロジェクターレンズで撮った。
大黒様のせいか、やんわりした優しい空気感が写った。
2025/07/13
近所を徘徊した。
まだ自然が残っていて、木々の間を歩くと鴬の声が聞こえてくるから、口笛で真似をする。
会話ができないかと思ったが、口笛への返事はなかった。
琵琶の実がこのようにしなびている光景を目にする。
今年は特に多いな。
そういえば蝉の声を聞かない。
こんなに暑くなったら、たいてい蝉がうるさく鳴くものだが今年は一度も聞いていない。
暑さのせいかは知らないが、近ごろは動植物に異変が起きているように感じる。
まあ、暑さとは関係ないかもしれないが、テレビニュースを見ると、戦争、熊の出没や殺人、詐欺事件、交通事故に盗撮、水(雨)災害、地震、トランプ関税が毎日の話題だ。
たいていこの組み合わせで毎日が動いている。
米話題は下火になった。
蝉はどうしてしまったのだろう・・・。
2025/07/11
鳴かない理由が書かれてあった。
「セミが鳴いていない!?」空梅雨と急激な暑さで羽化に失敗か「35℃を超えるとあまり鳴かなくなる」
YAHOO!ニュース
↓
https://news.yahoo.co.jp/articles/e1fee5773b74363dfe3c36b74a60fb921c9ff763
預けていたのを忘れていた。
あるいは、彼に購入していただいたのを忘れていたのかもしれない。
断捨離をするので整理をしていたらこんなものが出てきた・・・ということで、昨日この3種類の版画を送って頂いた。
記憶にある作品で、紛れもなく自分の版画。
サインもある。
1979年の作品だ。
ちょうど46年前、僕が26歳の時のものだ。
感慨無量である。
商品名「ビニトップ」というビニール樹脂系のインクを使ってベタ面を6回重ねて刷っている。
当時はカラー分解用のインクを使った、刷り重ねによる色の変化を試みていた。
波打っている。
インクの層が厚いので、46年間のうちに紙を激しく反らせてしまったようだ。
紙は「ブレダン」エディションは20部。
小さな作品だ。
2025/07/11
TOUGODO CO.LTD meisupii SUN 1:1.8 F=50mm
東郷堂カメラの製品で、いわゆるトイカメラだ。
昭和初期のものだと思う。
使用するフィルムも現在では手に入らないので、レンズだけでもと思いデジカメに使えるよう改造してみた。
こういう作業は期待感がある。
以前、教材用の一枚レンズが魅力的な写りをしたので作業は楽しい。
試写してみた。
単眼レンズでコーティングも施されていない。
したがって逆光に驚くほど弱い。
フレアが入り、コントラストが低い。
白黒時代のカメラだから、ここはやはり白黒かな。
時代を感じる写りになる。
2025/07/10
連日の厳しい陽射しのせいで、高齢者の僕にはカメラを持った徘徊が厳しい状況だ。
夏は好きだったけれど、そんな事もあり最近はこの暑さを疎ましく思う。
昨日は溜めていたフィルムを現像した。
作業をしながら、写真は「モノ」なのだと改めて思った。
2025/07/10
中身を読まず、本のタイトルだけで書評する。
作品の題名だけで芸術作品を批評するようなものだ。
しかし、当たらずとも遠からず。
25年前の著作。
紹介されている本を読みたくなる。
書名から思うことを書くことで、書評としての役目をそれとなく果たしているのが面白い。
書名や作品名を侮ってはいけない。
2025/07/09
NikonF・NikonF2・NikonF3と続き・NikonF4が発売された。
オートフォーカスカメラの台頭で、Nikonのプロ仕様のカメラもオートフォーカスになった。
それがNikonF4 。
いずれのカメラも視野率が100%。
フィルムカメラで他社が追従できなかったスペックだ。
ファインダーで見えた部分だけが正確にフィルムに記録される。
トリミングをしたくない僕には、とても気持ちが良い。
Nikon F4Sは単4電池が6本必要な仕様だ。
大きくて重い。
1888年に発売された。
37年前のことだ。
懐かしい。
久々に電池を入れてシャッター音を聞くと、無性に使ってみたくなる。
2025/07/06
触れてもいないのにキーボードがいきなり勝手に連打を始めた。
驚いた。
再起動したら直ったりするけど、しばらくするとまた始まる。
一つ一つ原因を調べていったら、どうもキーボード内のロジックボードが壊れたようだ。
乾電池入れ換え式のずいぶん古いキーボードとつないでみたら、直った。
久しぶりにこれを使ってみたら、タイピングの感覚がとてもいい。
適度な硬さと確実な押した感・・・。
アルファベットだけの表示も眼に優しい。
2025/07/06
眼科に行ってきた。
眼底検査というのをした。
悩まされている飛蚊症は老化のせいだということだった。
したがって薬なども処方されない。
老化を防ぐ薬がない。
修理がきかない中古のわけありカメラを使っていくような感じだ。
まあ、そういうのは慣れていない訳ではないが、自分の人体となるとストレスだ。
右目に瞳孔を広げる薬を注したので右目の見え方が違う。
眺めがまるで「ベス単フード外し」の写真みたいだ。
瞳孔を開けることはベス単のフードを外すのと同じであることを再確認する。
受診に際して検眼をしたら、両目とも裸眼で1.5だった。
どういうことか視力がよくなっている。
そういえば最近眼鏡なしで生活しているな。
2025/07/05
音のしない場所でありながら、音を聴くことができる。
目の前に無いものが見える。
そういう能力を持っている。
耳鳴りと飛蚊症だ。
いずれもそれから一刻も逃れられないのでストレスになっている。
年齢を重ねるといろいろな箇所が壊れてくる。
カメラ屋のジャンクコーナーにはそういうものが並んでいる。
それらが自分と重ねて見えるのも、年齢のなせる技だろう。
どうしても無限遠がでない、取り外したプロジェクターレンズの改造のため、1本のジャンクレンズを求めた。
レンズ表面にはカビがあり、たぶんレンズの飛蚊症で持ち主は手放し、カメラ屋は病気持ちのレンズを格安で売った。
それを昨日購入した。
分解して部品を取る目的で購入したのだが、アルコールで清掃したらきれいにカビが消えてしまった。
もうこうなったら、分解利用ができない。
ちゃんとしたレンズとして使えるではないか。
本末転倒というかなんというか・・・意せずして、なおしてしまったようだ。
自分の目を、アルコールで磨いてみたくなる。
それはさすがにしないけど。
丁寧にやっても痛そうだ。
2025/07/03
いい人ばかり。
2025/07/02
「いい人」とは、思いやりや優しさを持つ人を指しますが、それだけではありません。思いやりは他者の立場を理解し、無条件で接することを意味し、時には厳しさも必要です。優しさは大切ですが、行き過ぎると他人に利用されることもあります。バランスを保ち、自己を守る毅然とした態度も重要です。 (いい人ってどんな人ですか?の問いに対するAIからのお助け回答「みんなの知恵袋」より)
もう40年近く前のことだ。
アメリカに行った友人がこの小さな写真を送ってくれた。
なんでも蚤の市で買ったダゲレオタイプだと言う。
確かに、銅板の上に玉虫色に光るダゲレオタイプのように見える。
さすがアメリカ、こういうものを蚤の市で売っているのだと感心した。
しかし、残念なことに友人は梱包もしないで、直接これを封筒の中に入れて送ってきた。
保護ガラスのこのひび割れは、郵送中に起きた事故のせいだ。
デュシュヤンの大ガラスみたいや・・・と言いながらお礼の手紙を書いたことを覚えている。
メールもない時代だった。
久しぶりに取り出してみたら画像が薄くなっている。
消えかかっているのだ。
ここで「記憶する鏡」のことを思い出す。
銅板に写ったダゲレオタイプの写真は、フィルム写真のようにプリントすることができない。
感材を塗った銅板に映った映像をそのまま定着したものなのだ。
だから1枚しかない。
銅鏡に映る顔が、記憶されてそこに残るようなものなので「記憶する鏡」と当時呼ばれたそうだ。
以前、東京都写真美術館で、像が消えてただの玉虫色の板になったダゲレオタイプを見たことがある。
展示では、消える前の写真が紙焼き写真で横に添えてあって、それがなんだか面白かった。
記憶する鏡のはずが、写った像を忘れて消えているのである。
そこには、ただの鏡が展示されていたのだ。
記憶というものは消えるものだということだ。
鏡も記憶を失う。
2025/07/01