境界線のつる植物。
2025/04/30
見かけないデザインの「通学路標識」
イラストの表面に斜めの点線が何本か平行に走っている。
雨の日の登校のようだ。
ちなみによく見かけるのはこのようなデザイン。
ネット情報では下記のような説明があった。
2025/04/29
↓
https://221616.com/norico/crosswalk-sign/
青と黄色の「子どもが歩いているイラスト」の標識。よく似ていますが、以下のように全く違う意味を持っています。
境界線を見つける。
2025/04/28
鏡面構造を見つける。
2025/04/27
ほかにたとえようもない素晴らしい景色のことを「絶景」という。
散歩中にこれを見つけた。
絶景かもしれない。
2025/04/26
写真を撮ると隙間が生まれる。
矩形と物体のスキマのことだ。
通常は意識しないで撮影するが、気になるとそれ自体を撮ろうとする。
「あなたは何を撮っているのですか?」
「わたしはスキマを撮っています」
↑外国語の直訳みたいに感じる。
2025/04/25
お昼に中華屋さんで食事をした。
控え室らしき場所に向かう通路にこの のれん がかかっている。
不衛生ではあるが、まあ、それはこの場合よしとしておこう。
のれんに人体が写っている。
これはまるでイブクラインの「人体測定」ではないか・・・。
いやあ・・・これの方がもっとスゴイと思うな。
何人もの人がこれに関わり、知らぬうちに時間が流れた。
なによりも凄いのは、意図がないことですね。
芸術を創ろうとする意志がない。
まあ、芸術でははないのだから、それはそれでいいのだけれど。
版画のようでもある。
人という「版」が長い時間かけてこの版画を作りあげた。
おもろいやないですか・・・、ねえ。
2025/04/21
視覚に異変が起こって驚いた。
右目と左目の見える風景の角度が違う。
ふわーっとめまいがして、もうこれまでかと思ったが、平常に戻った。
原因がわからず、気持ちが悪い。
年寄りは、これからますますいろいろ未知の体験をするのだろう。
2025/04/20
ステレオカメラで遊んだことがある。
カメラの左右に2つのレンズが付いていて、シャッターを押すと視差のある2枚の写真が撮れる。
それを自分の左右の目でそれぞれ眺めると立体的な映像を見ることができるというものだ。
原理としてわかるが、実際に体験すると本当に不思議な感じがして嵌まってしまう。
この間、カーブミラーが3つ付いたものを撮ったら、3方向の円い映像が撮れた。
目が三つあったとしても、これを立体視するのは無理だろう。
しかし、3つの写真を脳内で組み立てることで位置関係を知ることができる。
見ることと考えることの違いだな。
見ることは瞬時だが、理解には時間がかかる。
2025/04/20
今日は京セラ美術館などに行ってきた。
帰りに大阪のギャラリーも少し回った。
修理に出していたレンズと、カメラの受け取りにも行って、万歩計表示で24,857歩あるいた。
疲れた。
展覧会を見るのも体力がいるな。
福住画廊で宮崎豊治展を見た。
つぶやいていた。
独り言をつぶやく作家が最近いないように感じる。
舞台で大声をあげる展覧会が多いけど、つぶやきもいいなと思った。
2025/04/18
円い写真を見た人に、カーブミラーを利用しているのかと問われた事がある。
そういわれてなるほどと思った。
自分自身はカーブミラーの映像にさほど興味がなかったのだけれど、以来気にして眺めるようになった。
四角い写真に写るカーブミラーが 画中画 のように見える。
2025/04/18
「使い切る」ということについて思う事があるな。
70歳を超えると余命をちらっと心配するよ、そりゃあ。
あと何年生きることができるだろう。
元気で自由に動ける間が人生だとすると、そう長くもなさそうだ。
で、「使い切る」についてである。
消耗品はわかるが、道具については使い切れない。
金槌を使い切るとか、カメラを使い切るとか、砥石を使い切るとか。
あ、砥石は消耗品か・・・。
愛用していた仕上げ砥石がすり減って薄くなり、5ミリぐらいになったとき縦に真っ二つに割れた。
これは使い切ったということかな。
うーん、と考えてしまった。
結局、砥石台を添えてあと5ミリの薄さをを使えるようにした。
貧乏性のなせるわざだな。
幅が極端に狭い極薄型砥石の出来上がり。
これで 何が研げるだろう?
刃幅の狭いノミとか小刀か・・・。
使い方によっては庖丁も研げるはずだ。
命あるうちに、これを「使い切る」ことができるだろうか。
使い切っておきたい。
2025/04/17
町を歩けば様々な建造物があるが、多くは地面に垂直に立っている。
地面は水平で、建物は垂直。
こういうものを写真に撮ると、水平垂直を意識することから逃れられない。
ファインダーが四角いからだ。
垂直水平を微妙に外す線の傾きを見つけると気になる。
絶妙な場所にそれが複数ある時、写真という平面が崩壊しないバランスを生む時もあるな。
白黒写真は構造がわかりやすい。
2025/04/15
こういう風景は見飽きない。
壁の端っこまで寄っている茶色い雨戸のようなものはなんだろう。
ちょっとした出っ張りが作った壁面の色の違い、建物が作るスキマの風景など、どうでも良いことなのに箸が転がるように面白い。
2025/04/14
道路に面した硝子面に庖丁が5本。
刃先が上を向いている。
形状から推測すると、硝子の向こうは魚貝類や肉をさばく台所のようだ。
直射日光があたる場所なので、早く乾いて消毒にもなるだろう。
この位置なら柄を下にした方が取りやすい。
そういう理由からこの光景が生まれたと推測する。
固定はどうしているのだろう。
庖丁刃は鉄でできている。
恐らく横長の強力な磁石が窓に貼り付けられていて、それにくっつけているのではないか。
刃が当たって欠けないように工夫はしてあるのか、その辺の構造はわからない。
調味料が入った容器も見える。
ボケ具合から庖丁とのわずかな距離感が磨りガラス越しに感じられる。
赤いキャップは正方形の世界を引き締めていた。
2025/04/13
SMC TAKUMAR 1:1.8/55を改造したレンズを以前に買った。
どう改造したかは知らないが、被写界震度の具合でリングボケする。
今日はレンズ遊びで花を撮った。
この場所のこのシチュエーションではリングボケは無理だ。
しかし、軟焦点で妙な色合いの変な写りをする。
2025/04/12
鳥取駅の南口に「因幡の白うさぎ像」があった。
そもそもこの伝説は鳥取県の話なのか島根県の話なのか、卑弥呼伝説のような曖昧さがある。
各所に建立するこの像の構図はだいたい同じで、大国主命と皮を剥がれたうさぎが対面している。
皮を剥がれたらそれはもう痛いどころではない。
そりゃ、涙も出るだろう。
「せんとくん」の生みの親である籔内佐斗司氏は島根県松江市の温泉街にこの「因幡の白うさぎ像」を作っている。
その像では、丸い大粒の涙を流すうさぎが表現されていて、像はそういう決まりになっているのかと思ったら、違うようだ
ネット調べによると涙を流していないうさぎもある。
で、この鳥取駅のうさぎは涙を流しているように見える。
しかし、どうも素材的に違和感がある。
誰かが(あるいは作者が)ペンキで描いたのかと思い近寄ると、どうも鳥の糞のようだ。
うさぎの右目には涙がなかった。
すごい命中率というか偶然と言おうか、神がかりな彫刻に仕上がっていた。
鳥の力恐るべし。
2025/04/11
植物と人間のせめぎあいの痕跡が残っている。
温かくなると、またその続きが始まる。
2025/04/10
記録誌「再燃焼」出版のとき一枚再燃焼皿を買った。
そのことを忘れかけていたが、先日 鳥取での搬入時にそれが手元に届いた。
本の中に使われた作品で、今回の「サイネンショーのみんげい」展に一緒に展示したら良かったと、梱包を開けてみて思い出した。
2025/04/09
「サイネンショーのみんげい」という催しに参加する。
今年は4月11日から27日までの会期で、湯梨浜町(鳥取)にある「ゲストハウス たみ」を拠点に展覧会が催される。
「サイネンショー」は不要になった陶磁器を再焼成し、ものとしての新しい価値を見つけ出す試みのプロジェクト名で、松井利夫さんや小山真有さんらが中心となって取り組んでいる。
2022年には記録誌「再燃焼/ザ・サイネンショー」が刊行された。
その本の中で、僕は写真を何枚か担当させていただだいた。
そんな縁があって今回の「サイネンショーのみんげい」では、使われた写真のパネル展示や僕の写真作品を紹介していただいている。(会場:カフェ Librarie by HAKUSEN)
湯梨浜町は景色の美しい穏やかな町で、温泉も楽しめる。
サイネンショーのみんげい
展覧会:
日 時|2025年4月11日(金)~27日(日)
木・金18:00~21:00 / 土・日10:00~21:00
会 場|たみ (鳥取県東伯郡湯梨浜町中興寺340-1)
※14日(月)・21日(月)のみ13:00~18:00
※定休日:火・水
関連展示:
「サイネンショーをよむ」
書籍「再燃焼」の展示とサイネンショーの本棚
日 時|2025年4月11日(金)~27日(日)営業時間内
会 場|汽水空港(鳥取県東伯郡湯梨浜町松崎434-18)
「サイネンショーをみる」
書籍「再燃焼」の原画展
日 時|2025年4月11日(金)~27日(日)営業時間内
会 場|Librarie by HAKUSEN(鳥取県東伯郡湯梨浜町松崎619 旧さくら小学校 1F)
鳥取の湯梨浜町というところまで3泊4日の旅をした。
近年この地にあるゲストハウス「たみ」で続けられているサイネンショーの催しに呼んでもらったのだ。
電車で往復したが、天気が良い上にどこへ行っても桜が見事に満開で春の過剰を味わった。
そこで出会った移住組の若い世代の人たちが、温かく活き活きしていたのも心地よかった。
2025/04/09
4月12日-5月11日の間、ヴォイスギャラリーで写真作品を少し紹介してもらうことになり、壁面を借りて作品の一部を今日搬入・展示した。
昨年11月に日下部一司写真集「円景を眺める」(https://amzn.asia/d/iiGdwoE)をヴォイスギャラリーから出版していただいたが、その宣伝を兼ねている。
壁面への直接糊貼り作品24点と、ガム印画作品を10点程度展示する予定だ。
この期間、ちょうど京都国際写真祭[KYOTOGRAPHIE ]が開催されている。
今日はカメラを持ったまま名張まで徘徊してしまった。
名張は行ったことがない場所なので、距離的にも遠足感があっていいかなと思ったのだろう。
しかし、撮影の楽しみは満喫できず沿線の各駅をうろついてこんな写真を撮った。
トタン壁に四角い穴が開いていて窓のように見える。
正確な矩形ではなく、直角をを持たない四角形だ。
一月の個展で「直角を持たない四角形」という作品を出品したこともあり、なんだか親近感がわく。
2025/04/03
それぞれに思うところがあって撮影した。
こうやって2枚並べる方が、円景写真を撮る必然が伝わるようにも思う。
違うかもしれない。
2枚並べて考えている。
円には中心と直径がある。
それらが円周を意識させ円景写真になるのだ。
いうまでもなく「円景写真」は造語である。
2025/04/02
塀に山を見た。
ブロック塀の山は京都に、コンクリート塀のものは自宅近所の散歩道にあった。
2025/04/01
昨日と違うレンズを付けて散歩に出たが、撮るべき被写体に出会わない。
そんなときは花を撮る。
ピントを合わせシャッターを押すと、写真を撮った気持ちになる。
花にはそういう優しさがあるな。
2025/04/01