NEWYI MINI LENS 25mm F1.8
NEWYI MINI LENS 25mm F1.8

昨日は大阪駅北側を徘徊した。

工事中のビルがあった。

クレーンがビルに寄り添って直角に立っている。

 

2025/05/30


iPhone15
iPhone15
iPhone15
iPhone15

コップの水に唾を垂らしたら、自分のものでも汚く感じる。

口内にあるときは意識しないのに、いったん外に出るとそうなる。

不思議だと思う。

 

どこから水を出すか。

こういう場合、口か股間だろう。

小便小僧マーライオンもしているし、こんな例は世界中にいっぱいあるのも知っている。

でも、僕はそういうノリがどうも苦手です。

 

この着ぐるみ動物みたいなものに関して言うなら、口から吐き出す水なんか要らないと思う。

水面に座っているだけで十分。

というかそれがよい。

 

口元の「大」は大阪駅の「大」で、意図して撮った。

意味はない。

無意味なできごとも面白い。

 

話は別だが、立体の後側って無防備に見える。

どうでもいい話だ。

 

 

2025/05/29

Carl Zeiss Jena Tessar 28/50
Carl Zeiss Jena Tessar 28/50
Carl Zeiss Jena Tessar 28/50
Carl Zeiss Jena Tessar 28/50

TAMRON SP 90mm 1:2.5
TAMRON SP 90mm 1:2.5

林檎の輪郭、人物の輪郭・・・そういう輪郭線だけにピントが合った写真を以前から撮りたいと思っている。

しかし、なかなか上手くいかない。

原理的に無理かもしれないな。

こういうものは、話だけの方が想像力が沸くように思う。

 

そんなこともあって、話だけの展覧会ができないかと、これも以前から考えている。

作品が無い展覧会。

会場も展示物もない展覧会のことだ。

しかしイメージだけは鮮明にある、あるという展示。

 

2025/05/28


TAMRON SP 90mm 1:2.5
TAMRON SP 90mm 1:2.5

住所が7桁の英数字で表現できるサービスを日本郵便が始めたそうだ。

2025年05月26日、昨日からこの「デジタルアドレス」が利用できるようになったらしい。

7桁の英数字・・・まるでパスワードのようだ。

 

現行の住所表記は確かに長いけれど、僕などは日本地図を思い出す頭の体操になっている。

ネット販売する会社の所在地や発送元など地理的な距離感を知る手段でもある。

デジタルアドレスは、今後の僕の認知にどのように影響するのかな。

 

テレビなどで見かける芸人や「アーティスト」の多くは本名ではない。

カタカナの名前や英文字名の日本人もいる。

アニメキャラがう唄うことだってあるし、コマーシャルにでている実在を疑わない女性がAIで作られたものだったりもしている。

アナウンサーがしゃべっているのかと思えば、AIだったりもするし。

要するに、個人やその情報がどんどん消えていく時代だな。

 

住所の記号化もその一端を担うことになるのだろう。

マイナンバーは既に幅を利かせているけれど、戸籍上の本名もそのうち英数字化してしまうのではないかと、ちょっと恐い。

キラキラネームさえ付けられない時代も来るのかもしれない。

この怖さを他の人たちは同じように感じているのだろうか、と気になった。

 

2025/05/27


iPhone15
iPhone15

日曜日の夕方、NHKの大河ドラマの映像が妙に凝っていて気になっている。

あれはデジタル上の加工なのか、あるいは軟調レンズを実際に使っているのか・・・。

いずれにしても自分にはやりすぎな感じがする。

やり過ぎというか、マニアックすぎるというか・・・。

自分がそうなので他人のそれが気になるだけかもしれない。

 

若い頃はレンズのシャープさを第一に考えていた。

カリカリにトゲが出ているような描写が好みだったのに、今はやんわりとした柔らかい描写に惹かれる。

歳のせいなのかどうかはわからないが、ボケ具合(惚け具合ではなく)なんかも目の楽しみになってきた。

 

Minoltaから「minolta MINI-35 」というスライドプロジェクターが発売されていた。

今はもう当然生産中止で、オークション上でも二束三文だ。

なんといってもスライドを見る道具なので、今の時代全く需要がない。

 

そのプロジェクターを買ってレンズだけを活かそうと試みた。

撮影目的のレンズではなく、小さなリバーサルフィルムを拡大投影するものなので、当然絞り機能がついていない。

他社のジャンクレンズの銅鏡を使って絞り機能を付け足してみた。

 

プロジェクターレンズの名前は「MINOLTA P-ROKKOR 2.5/75」という。

 P-ROKKORの「P」は Projectorの P だろう。

Canonのプロジェクターレンズ「CANON LENS P 75mm 1:2.5」にも「P」の文字がある。

シャープな写りではない。

ちょうどそのNHK大河ドラマのような写りなのだ。

しかし、絞り機能を付け加えると被写界深度の調節が可能になる。

レンズが進化したみたいでちょっと嬉しい。

 

2025/05/26


YASUHARA MOMO 100 6.4/28
YASUHARA MOMO 100 6.4/28

水平・垂直の建造物に対して、それを無視する柔らかい曲線が加わる風景。

 

2025/05/25


Carl Zeiss Jena Tessar 28/50
Carl Zeiss Jena Tessar 28/50

台座からズレた形が相似形だ。

コンクリートでできたこの物体の名前を知らない。

調べてみたら「溜枡」とか「会所枡」というようだ。

 

それが逆さに置かれ、植木鉢として使われている。

錆びた一斗缶も、同じように植木鉢のような顔をして隣に並んでいた。

植わっている植物は、どう見ても保護されているようには見えない。

人間の意識が遠くにかすみ、したがってここで小さな自然が再生しようとしている。

 

2025/05/22


AUTO ROKKOR-PF 1:1.4 f=58mm
AUTO ROKKOR-PF 1:1.4 f=58mm

最近、このような写真を撮っている。

距離感がある被写体を開放絞りで撮るのである。

レンズによってその表現が異なり、その微妙な差異を楽しんでいる。

概ね明るいレンズや 軟焦点のレンズが心地よい。

 

2025/05/20


土曜日に越野潤[捨て石/STAY SEE]を見てきた。

画廊空間の特定の位置に一個だけ碁石のような大きさの色面を持つ円い金属片を設置するもので、日替わりでその位置を変えるという。

したがって、いつ見に行っても小さな一個だけの色面が画廊空間のどこかに展示されているというものだ。

作家自身は展示には関わらず、作家の了承を得た観客(第三者)によって位置が決められ、日々時間差で新たな空間が生まれるといいう展覧会だ。

 

一個だけというのがポイントだ。

白い画用紙のどこかに一個だけ点を打つとしたらとこに打つか・・・というようなことである。

 

囲碁の場合は次の一手というものがあって、勝負がつくまで升目の交点を必然を持って埋めていくが、最初の一手だけで勝負が決まる碁のようなものだ。

最初の一手で勝負が決まる。

なんとミニマルな囲碁だろう。

 

勝負の世界は勝ち負けがあるが、展示にはそれがない。

したがって捨て石のようなそれを眺めながら「なぜそこなのか」と問うことになる。

問いは身体で感じ応えるしかない。

そこにしばらく立ち止まり会場空間を見ることだ。

そんなわけで[捨て石/STAY SEE]というだじゃれタイトルもいい感じだ。

 

2025/05/19


プロジェクターレンズ「CANON LENS P 75mm 1:2.5」をMINOLTA LENS   MC ROKKOR -PF 1:1.7 f=50mm の銅鏡を使って改造してみた。

このことで絞り機能が使えるようになった。

 

2025/05/18


Olympus F.Zuiko Auto-S 1:1.8 f=38mm
Olympus F.Zuiko Auto-S 1:1.8 f=38mm

中津3丁目34 という場所。

4個のゴミがあった。

 

ポリ袋

煙草の吸い殻が一杯つまった水入りのペットボトル

ハングル文字の書かれた空き缶

四角い物体の入ったポリ袋

 

2025年5月17日 土曜日 16:17 に撮影された。

 

2025/05/18


CANON LENS P 75mm 1:2.5
CANON LENS P 75mm 1:2.5

キャノンのスライドプロジェクター Canon slidester のレンズをデジカメに取り付けた。

プロジェクターレンズということで、絞りが無い。

したがって開放絞り値での撮影となった。

Minolta mini 35 のレンズ(MINOLTA P-ROKKOR 1:2.5 f=75mm)がリングボケをするというが、キャノンのこれも見事にリングボケする。

この種のボケかたを珍重する俗な感覚がくすぐられ、ちょっと恥ずかしい。

とはいえ、写りの幅を広げるためにも絞りがほしい。

タクマーの55ミリを使って取り付けたいが、そのジャンクが見つからない。

 

 2025/05/16


Schneider - Jsco f=4.5 F7.5cm
Schneider - Jsco f=4.5 F7.5cm

Semi Prince というカメラのジャンクを買った。

蛇腹が既に朽ちて存在していなかったが、かろうじてレンズが使えそうなので、蘇生をはかることにしたのだ。

国産カメラ図鑑(株式会社アサヒソノラマ)で調べてみたら、1936年・藤本製作所の製造とある。

1936年とは昭和11年、今から89年前のカメラだ。

 

 レンズはSchneider - Jsco f=4.5 F7.5cm。

 

で、早速清掃をして手持ちのデジカメに取り付けて試写してみた。

もちろんモノクローム写真。

89年前の眼が今を見ている。

 

2025/05/15


Sccchneider-Kreuznach Xenon 1:1.9/40
Sccchneider-Kreuznach Xenon 1:1.9/40

マイケル・ケンナを見てきた。

本人が語るビデオも同時上映されていて、それを見てあれっと思った。

これまで鋭く尖った人という印象だったが、あんがい庶民的というかなんというか、美しいものを撮りたいなどと言っている。

「美」という言葉を用いて自分の作品を語る人が苦手なので、この部分に引っかかってしまったようだ。

 

 1953年生まれ。

僕と同年だ。

写真に惹かれるのは、同時代的な感覚が彼の写真の中にあるからかもしれない。

 

展示写真の額装でマットの厚みが通常より薄いことが気になった。

 マットが薄いことで、どう見え方に影響するのだろう。

写真とは関係ないことだが、そんな些細なことも展覧会を見る時の楽しみだ。

写真集では見ることができない。

 

Sccchneider-Kreuznach Xenon 1:1.9/40 を付けて京都に行ったが、撮ったのはこの一枚。

マイケル・ケンナの展示室の隣にある何必館の和室だ。

場所が場所だけに、彼を意識してしまう。

 

2025/05/14


NIKKOR 55mm  1:1.2
NIKKOR 55mm 1:1.2

NIKKOR 55mm  1:1.2を久しぶりに持ち出し近所を徘徊した。

野草の花が咲いていて、純粋なカメラ徘徊者としてそれらを撮る。

純粋という意味は、表現を考えず素直にカメラと遊ぶ老人のことだ。

 

開放絞りで撮ると、やんわりとソフトで被写界深度も浅い。

時折小さな蜂が蜜を吸いにファインダーの中に飛び込んでくる。

それにピントを合わせようとするがなかなか合わない。

 

そういえば、長いこと写真をやっているけど動くものを撮ることがなかった。

そのせいもあるだろうな。

近い距離での開放撮影は動くものを捉えにくい。

 

古いレンズなので白黒写真にしてみた。

映画「近松物語」の妖艶な絵を思い出す。

 

 

2025/05/13


展覧会「大阪府20世紀美術コレクション The beautiful earth-生命の大地-」

会場/東大阪市民美術センター

 

今日までの展覧会だが、昨日見に行くことができた。

入口にアンセル・アダムスの写真が、高さ2メートルくらいに大きく引き伸ばされて看板になっていた。

実際の写真はA4サイズくらいの大きさだ。

 

大きい写真について思う事があった。

大きさには存在感があるが、銀塩写真の微細な粒子それ自体を感じることができない。

8×10という大型カメラで撮影し、微粒子写真を作り上げたアンセル・アダムスの写真の拡大なのでそのことを思った。

写真はイメージでもあり、物質でもある。

写真を見ると同時に銀塩の粒子を見るものだ・・・というようなことだ。

 

アンリ・カルチェ・ブレッソンの額装が新鮮だった。

彼の写真にはノートリミングを表す黒い縁取りがある。

通常、この四角い縁取りごと余白を活かして額装する。

しかし、今回の展示はそうではなくて、その黒い線をぎりぎりまで隠すマット装が施してあった。

そのことによってノートリミングが強調されるようにも思った。

この見え方は、彼の写真にとって良いことなのか悪いことなのか・・・。

あるいは、どうでも良いことなのか。

 

 

2025/05/11


カリン・ザンダー/Karin SANDERという人の、キャンバスを郵送する[Mailed Painting (郵送された絵画)179, ボン-ベルリン-大阪 2017]・・・という作品が見たくて「ノー・バウンダリーズ」展を見に行った。

何も描かれていないキャンバスを梱包せずに送ることによって、傷ついたり汚れたり関わったたくさんの人の痕跡が残る。

 

2001年に僕は「書く・消す-書く・消す」という同じような仕事をした。

官製はがきを使った作品だ。

 まずこちらから鉛筆で文面を書き相手に送ることから始める。

相手はそれを読んでから消しゴムで消し、その上から鉛筆で返事を書き切手を貼って投函する・・・というやりとりを繰り返すのである。

一枚の葉書を繰り返し通信素材として使ううちに、ただのハガキが別ものに変化していく様子を双方で確かめるという試みだ。

もう24年前の作品になった。

 当時は既にメールが一般的な通信手段となっていたので、このようなアナログ通信をお願いした方々には大変面倒だったことだろう。

申し訳ない。

 発表した当時「書く・消す-書く・消す」というタイトルが野暮ったい と言う人がいて、彼は「communication」を提案してくれた。

でも私は「書く・消す-書く・消す」という即物的な行為の方に興味があったので、このタイトルのままで制作した。

「communication」の方が言葉としての膨らみがあったかもしれない、と今は思ったりもする。

 

2025/05/10

 

[書く・消す]シリーズより 2001
[書く・消す]シリーズより 2001

Sccchneider-Kreuznach Xenon 1:1.9/40
Sccchneider-Kreuznach Xenon 1:1.9/40

三角コーン2つと 2本のコーンバー、石のかけらが2つ。

コーンバーの影とコンクリートの継ぎ目の線の関係も良い感じ。

2025/05/10


かたちの意味

ゼラチンシルバープリントをアクリルマウント・鉄製フレーム

130×130×40(mm)

2012

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13年前の作品だ。

先日参加した「サイネンショーのみんげい」という松井利夫さんの企画で10点の写真作品を出品したが、その中の一点である。

当時の作品を改めて眺める機会になったが、基本的に写真の視点が変わっていない。

いつまでも同じことを反芻している。

 

2025/05/09


Super-Multi-Coated TAKUMAR1:2/35
Super-Multi-Coated TAKUMAR1:2/35

「犬」

公園の電柱に張り紙の残骸が残っていた。

またしても林剛を思い出す。

 

2025/05/08


Super-Multi-Coated TAKUMAR 1:2/35
Super-Multi-Coated TAKUMAR 1:2/35

2本の松がつくる景色。

一本の松は先が切られていたから、場所によっては非現実的な光景に見える。

 

2025/05/07


iPhone15
iPhone15

写真フィルムが出回る前はガラス乾板が使用されていた。

透明ガラスの上に感光乳剤が塗ってあるネガ撮影用の写真材料だ。

先日、この未開封パックを見つけ購入した。

製造年らしき数字が「18.1.22」とスタンプされてあった。

18は、昭和18年なのか1918年なのか・・・。

1918年であれば大正7年、昭和18年なら1943年になる。

文字表記が左から書かれているので、これは恐らく1943年(昭和18年)ではなかろうか。

 

で、これを使って撮影したいと思っているが、どうやってカメラ(4×5カメラ)に取り付けるか・・・。

乾板ホルダーを持っていない。

感光材は生きているのだろうか・・・。

 

2025/05/06


MC ROKKOR-PG 1:1.2 f=58mm
MC ROKKOR-PG 1:1.2 f=58mm

かつて千代田光学と言われたミノルタはコニカと合併し、ほどなくSONYに吸収されてしまった。

そんなわけでSONYはカメラメーカーとしても名を馳せるようになった。

 

ミノルタ時代の古いレンズをカメラに付けて徘徊する。

鷹の目ロッコールと言われたミノルタレンズだけに、少し絞ると鷹の目になる。

 

2025/05/02


iPhone15
iPhone15

擬態構造をみつけた。

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「トマソン」という概念を発見し、世の中にわかりやすく理解させたのは赤瀬川原平の功績である。

恐らく、トマソンの起源は「もの派」だろう。

もの派 はなにかといえば「見立て」が土台となっているはずだ。

これらは、無意味なもののなかに意味を見つける・・・という共通の目論みがある。

芸術には、何を表現するかだけではなく、どう解釈するかという問題が含まれる。

「解釈」はそれ自体が表現なのだから。

 

2025/05/01