Pearletteについていたレンズで撮影
Pearletteについていたレンズで撮影
Pearletteについていたレンズで撮影
Pearletteについていたレンズで撮影

奈良で開催中の2人展[ふくよかな視点/空櫁]に行ってきた。

途中で猿沢池に立ち寄り、先日購入したパーレットレンズの試写をする。

柳ごしの風景が気に入っていて、ここに来ると性懲りも無く同じ場所を何度も撮影する。

今日は水面に映った向こう岸の松の木が、柳の枝の間にすっぽり入ることに気がついて写真に収めた。

説明しないと、他人にはわかりにくい写真かもしれない。

2019/12/28


光をあつめる (上)h30.0×w22.7×d0.12cm アルミ板、更半紙2019 (下)h14.1×w16.0×d2.3cm イーゼルマスク、他
光をあつめる (上)h30.0×w22.7×d0.12cm アルミ板、更半紙2019 (下)h14.1×w16.0×d2.3cm イーゼルマスク、他

展覧会、Restriction 2019-Tree full days(Oギャラリーeyes/2019年12月23日-12月25日)が終わった。

私は三日間の日光で変色する更半紙で写真を焼く、という作品を3点展示した。

通常、写真は支持体の上に感光剤を塗布したものに焼き付けるが、今回のこれは単なる支持体である紙の「焼け」による写真である。

この淡泊な写真構造が僕は気に入っている。

時間が経つと消える。

その儚さが良いな。

ちなみにこの掲載写真は、古いイーゼルマスクで四角い形を焼き付けた 単にそれだけのものである。

四角いかたちが「写真」として写っている。

2019/12/27


「愛されるベス単」鈴木八郎・秋谷方 著(現代カメラ新書 No.29)1977年刊行 より
「愛されるベス単」鈴木八郎・秋谷方 著(現代カメラ新書 No.29)1977年刊行 より

蛇腹式カメラ、Pearlette  を買った。

1927年頃に作られている( 六櫻社)ので、もう90年以上前のカメラだ。

蛇腹が破れ光軸も歪み、カメラとしてはもう正しく機能しないものだった。

しかし、レンズだけは新品同様の輝きを持っている。

この年代のもので、こんなにきれいなレンズはとても珍しい。

そこで、手持ちのデジタルカメラにレンズだけはずして 取り付けた。

解放絞りで、変哲もない風景を試し撮りしてみた

中心がシャープで周辺は極端にボケる。

矢内原伊作の著作で読んだジャコメッティの「見えるがままに捉える」話を思い出す。

90年前のカメラの「眼」が今を見ている。

2019/12/24


古い裁断機を買った。

KODAK製のもので、ずいぶん小型だ。

おそらく手焼きした白黒写真を裁断するためのものだろう。

刃はみごとに錆びている。


試し切りをしてみて、これの持つ現在の実力を知った。

切る、というよりは「破り切り」と呼ぶ方が正しいように思う。

 

しかし、実はこの切れ味の裁断機を探していたところだったので、思いがけず出会えたのが嬉しい。

シャープではない紙の切り口の美しさが最近気になっているためだ。

刃を研ぐこともなく、たぶんこのままずっと使うことになるだろう。

古いレンズの持つ軟焦点描写に似ている。

2019/12/23


名古屋の ウエストベスギャラリー・コヅカ が駅前から移転するようだ。

預かってもらっていた作品をごそっと戻してもらった。

今日それが届いたが、懐かしさ半分・恥ずかしさ半分だ。

人間は変化する。

だから若い頃の作品が恥ずかしく感じられるようだ。

はじめてウエストベスで個展をさせてもらった時のもので、こんな作品が現存していることを自分自身が忘れていた。

一枚のボール紙に破りめを入れたり切ったりして展開し貼り付けてあるが、元に戻すと一枚の矩形になる。

因みにこれは1980年の作品で、数えてみると39年も前の作品なのだ。

髪の毛もふさふさある27歳の頃作った。

僕は今年で66歳になってしまう。

 

2019/11/18

 


フィルムオープナーを買った。

300円。

最近はフィルムを使う人も少なくなったせいで、フィルム用品が格安で出ることがある。

それにしてもこの形のオープナーは初めて見た。

愛嬌のあるかたちでおもしろい。

NIKOR PRODUCTS CO.と、刻印が打ってあった。

どうもNikon製らしい。

ロゴからみても、古いものだと思う。

2019/11/03


昨日は琵琶湖畔に撮影に出掛けた。

秋晴れの良い天気で、体調の悪さを除けば最高の1日だった。

円形の写真を撮っている。

COSMICAR製のレンズを何本か持っているが、このレンズが一番好きだ。

というのも周辺のガラス質が写真の上に表現されるからだ。

下方に写る建物は殆ど収差で流れている。

飛行機雲と空の青さにピントが合った。

 

飛行機は水平に飛んでいるはずなのに、こうやって写真に撮ると上方に発射されたロケットのようだ。

 平面を縦・横の関係で認知してしまう癖があるのかもしれない。

空は平面ではないはずなのに。

2019/11/03


 面白さの「ツボ」が発見できないけれど、いつまでも気になるもの。そういうものを作りたいと思う。

 ことばに置き換えることが出来ないもの。置き換えようとすると違うものになってしまうようなつかみ所のないものを作りたいと思う。

 なにかに、あるいは誰かに似ているものでもいいのだ。その似ていることを借用しないと到達できない、ある場所。そんな場所を抽象的に提示できるようなそんな作品が作りたいと思う。

 抽象的で説明不可能なものが面白い。それは文脈もなく突然目の前に現れるものであって良い。

2019/10/23


久しぶりに丸く写るレンズを使ったら、やっぱり面白い。

レンズも何本か持っているけど、このレンズが一番好きだ。

周辺のボケかたや色の滲みなど、なんだかガラスレンズ自体が写っている感じが良い。

レンズそれ自身が写るレンズ・・・、なんて素晴らしいのだろう。

哲学的だなあ。(笑)

2019/10/13


随分「ムカシ」の写真だ。

パソコンの写真を整理していて出てきた。

岐阜の実家で撮った。

データを見たら「2012年7月20日 金曜日 12:59」とあった。

父がまだ生きていた頃だ。

この仕業は父なのか、あるいはひ孫なのかわからない。

父は盆栽にかけてずいぶんの腕を持っていたから、仮に父がやったのならすごい作品だ。

この力の抜き方がすごい。

いい風景だ。

 

2019/09/30


KONICA HEXANON 1:1.2 f=57mm
KONICA HEXANON 1:1.2 f=57mm

すっと伸びた背の高い雑草が生えていて、その姿がおおらかで美しかった。

むこうに紅色の建物がある。

肉眼とは違うボケた写真になったが、レンズの持つ抽象性を感じる。

何が写っているかが問題ではなく、単にレンズの描写力を見ているだけだ。

 

2019/09/13


このところ蓄光顔料を使う機会が増えた。

色彩としてではなく、単に発光する物質として存在するこの粉末が気になるからである。

絵の具は単なる物質である。そういうことを逆説的に語る蓄光顔料というものが面白く感じられるのだ。

光を消すと輪郭線が黒く現れる。

「消すと現れる」というのも逆説的で興味深い。

 

輪郭線を探す・1

360×260mm

和紙に蓄光顔料

2019

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輪郭線を探す・2

360×260mm

和紙に蓄光顔料

2019

 

2019年9月7日


Daguerreotype Achromat Art Lens という1群2枚レンズを購入した。

明るいベス単レンズのようなものだが、微妙に写りが違う。

ぐるぐるボケもあるな。

ベス単より柔らかな、湿った描写をする。

(2019/08/24)


[抽象写真]

大口径レンズは開放で使用すると被写界深度の浅い写真が撮れてそれが面白い。

何を撮っても面白い。

たぶん「ボケ」の様子を観察し、愛でることが楽しいのである。

何が撮られているのかということ以上に「ボケ自体を楽しむ抽象性」が面白いのだ。

具体的なものが撮影されていても、この種の写真は「抽象写真」だと僕は思っている。

 

https://camera10.me/blog/tips/cameras-trivia/bokeh

 


「作品」を測るモノサシとしての項目を五つ むりやり定め、レーダーチャートを作ってみた。

話のネタとしての冗談で、他になんの役にもたたないグラフである。

ましてバランスのよい五角形になることが優れた作品であるわけでもない。

 2019年7月7日


「色面」の展覧会はとっくに終わっていたのだけれど今日まで展示してあって、次の展覧会が始まるため今日搬出に行った。

約束した午後1時過ぎに会場に着くとSAIギャラリーの西元さん、Yoshimi Arts、The Third Gallery  Aya の綾さん、美術批評の平田剛志さんらが待機していて、壁面に貼り付けた僕の和紙の作品の搬出を待っていた。

次週から、この3画廊の共同展示が始まるのだ。

着いてすぐ水を含ませたぞうきんで剥がすと、みんなが歓声をあげて驚いてくれた、

搬出でこんなに注目されたのは初めてだ。

展示していた作品は西元さんがすでに梱包してくれていて助かった。

 

帰りに近所のリサイクルショップに立ち寄り古いレンズを買った。

AUTO RIOKENON 35mm f2.8だ。1500円。

帰ってすぐ試し撮りをした。

古いレンズらしくコントラストが低く、フォトショップでちょっといじって良くなった。

周辺光量が落ちて、なかなか魅力的な1500円だ。

 

2019/06/24

 


遠くになるほどモノは小さく見える。

そういうことを構図の中で強調してみた。

写真は矩形でとらえられるが、四角い形の特徴である直角四隅を意識する。

田植えの季節になって、水への映り込みも風流である。

2019/06/23

 

 

 


スキャナやコピー機でなにかを複写することは、カメラでそれを撮影すると同じように「写真に撮る」ことだ。

でも決定的に違うところもあって、それは被写体のすぐ前にガラスが密着していることだ。

コピーやスキャナのこと・・・閉じ込められた空気の感じのことだ。

見えないガラスが写っている。

この感じが写真とは違うし、だから「写真」とは気がつかないことが多いようだ。

写真ではなく「スキャンした画像」だったり、「コピーしたもの」という感覚で捉えられる。

2019/06/20


何気なく撮った影の形から思い出すものがあった。

三十数年前 新品でNikon FE2 を買った時付いていた付録冊子の表紙である。

ああ、懐かしい。

 

僕が初めて買ったカメラは中古のNikon EL2だったけれど、これを下取りしてもらいFE2にしたのだった。

この冊子[Nikon Nice Shot]も懐かしいが、Nikon EL2はさらに懐かしい。

カメラ遊びを始めた頃の甘美な時間がよみがえる。

 

後年、そのカメラEL2を買い直した。

電池の場所や重さ・手触り、シャッターの音などが当時を思い出させる。

EL2は記憶を呼び戻す装置のようなカメラで いつまでも愛おしい。

2019/06/02

(Ernst Leitz Wetziar Elmar f=9cm 1:4)

 

 


昨年のワークショップの報告書を送っていただいた。

卒業記念アルバムを見るような感慨がある。

2019/05/30


「色面」大森裕美子・日下部一司・倉智久美子〈SAI GALLERY/大阪〉より
「色面」大森裕美子・日下部一司・倉智久美子〈SAI GALLERY/大阪〉より

CMYKで白色は作れない。

白は紙の色だ。

 

RGBで黒色は作れない。

黒は電源を落としたときの モニターの色だ。

 

2019/05/19

 


 関根伸夫の「位相-大地」を思い出した。

 2019/05/14

 

気になってネットで検索していたら、なんと13日に亡くなった様子だ。

時代は終わっていくな。

https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/19807

 

亡くなった5月13日はこの記事をあげた前日だ。

その偶然が不思議だった。

2019/05/15

 

長い期間使っていなかった手巻きの腕時計をつけようと、静止している針を見たらまさに今の時刻だった・・・ということが二回ほどある。

だからそのときは単にネジを巻き直すだけで、時間を合わせる必要がなかった。

そんな偶然がまれにあるものだ。

遭遇しようとしてもなかなか体験できない。

2019/05/16

 


NEEWER 30mm f1.2
NEEWER 30mm f1.2

朴の木に花が咲いた。

この事を友人に伝えたら「匂いは?」と聞かれた。

花は見るけど、匂いには関心がない自分に気づく。

2019/05/14

 


ちょっとめんどうに思い、あと回しにするようなことがいくつかあって、結局いつまでも片付けられない。

しかし、そんなことがらもほんの5分や10分で片付くことが僕の場合ほとんどだ。

実行してみてそれがわかる。

2019/04/25


KONICA HEXANON 1:1.2 f=57mm
KONICA HEXANON 1:1.2 f=57mm
KONICA HEXANON 1:1.2 f=57mm
KONICA HEXANON 1:1.2 f=57mm

ずっと以前から気になっていたレンズ[KONICA HEXANON 1:1.2 f=57mm]をようやくオークションで買えた。

古いレンズのくせに妙に高価で手が出せずにいたのだけれど、程度の良さそうな品物が出ていたので思い切って購入した。

届くまで、その「程度」が気になったが、届いたら思ったより良い状態で安心した。

想像通り、このレンズ特有の柔らい写真が撮れる。

かつて[KONICA HEXANON 1:14 f=57mm]使って、その独特のクセに惹かれコニカのファンになっている。

f1.4・・・このレンズも大好きなレンズだ。

今回f1.2が加わって、とても贅沢な気持ちだ。

コニカのこの2本は秀逸だ。

最近のデジカメレンズでは出せない濃厚な空気が写る。

 2019/04/21


いきなり清書したように見える。

心の整理がつかないまま、ともかく意見を述べたい境地なのだろう。

思い余ることに出会って興奮した状態がここに現れているようにもみえる。

案外、ちょっといいことを標語のように書きたかっただけかもしれない。

「動物愛護協会」の張り紙。

 

人もネコも犬も動物だけれど、牛ちゃんや豚ちゃん、ニワトリちゃんなども動物だ。

もちろんイルカちゃんもそうだし、サバちゃんやイワシちゃん、ちりめんじゃこちゃんなども同類だ。

ついでに言えば、ゴキブリちゃんやハエちゃん、蚊ちゃんなども生きている。

それからミミズちゃんやナメクジちゃん、ウジ虫ちゃんなんかもいるかな・・・。

蟻塚に住む無数のアリちゃんたちは、人と同じようにみんな顔や性格が少しずつ違っているはずだ。

極小の生物だって、意思を持って動くにはそれぞれ自分専用の命がいる・・・ということだな。

そして、僕の生活や肉体はそうした動物の命を引き換えにしながら存在している。

 

余談だけれど、「ワンちゃん」という言い方は蔓延しているが、「犬ちゃん」はあまり聞かない。

 かといって「ニャーちゃん」とネコのことを呼ばないな。

2019/04/14


フォントで筆遣いや言葉の持つ印象が異なる。
フォントで筆遣いや言葉の持つ印象が異なる。

 

 

 

新年号が「令和」と決まった。

号外をすざましい勢いで奪い合う様子がテレビで報道されていた。

新聞がビリビリにちぎり取られ、片方のハイヒールを紛失した女性がテレビニュースのインタビューに出ていた。

情報が欲しいのかモノが欲しいのかといえばモノ(号外という紙切れ)だろう。

情報はすでの報道されている。

ただ単に群衆心理の狂気かな

奪い取るようにして手に入れた号外がすぐさま6000円の値段をつけられネット上で販売されてもいるようだ。

さもしいな。

2019/04/02 

 


建物の隅っこに四角い石が設置されている。

置いたのではなく、何らかの目的を持ってそこに埋め込まれた。

何の役割だろう。

レンガの方はあとからここに置かれた。

コンクリートの割れから穴が開いて、そこを埋めるための臨時の補修かもしれない。

そしてレンガとコンクリートの間に小さな石が生じている。

生じている、と書いたのは恐らくこれはコンクリートの破片だと思われるからだ。

でも、この破片はコンクリートの床面に別れを告げ独立した個体に成長している。

三つの「石」がひっそりと何時間も何日も・・・あるいは何年もここに潜んでいる。

 2019/03/20


正方形フォーマットのカメラROBOT についていたレンズ Schneider-Kreuznach Xenon 1:1.9/40で撮った写真だ。

カメラはフルサイズのSONY α7。

アダプターを介して使っている。

ROBOTではイメージサークル中央を正方形にトリミングして使用するため、周辺の各種収差は写真の上に現れることがなかった。

しかしフルサイズで撮ることによって、それまで隠されていたこのレンズの素性が写ってしまう。

レンズの設計者はここまで想定していなかったから、ちょっと待てよという気持ちだろう。

初めて招いた客に応接室だけでなく押し入れの中まで覗かれる場面に相当する。

でも、押し入れを覗いて初めてこのレンズの性格を知るのだ。

僕は深い親しみを覚えてしまった。

 

2019/02/25


上:福原信三「雁来紅 上大崎長者丸自邸 昭和4年」〈SHINZO/ROSO PHOTOGRAPHS 1913-1941/ワタリウム美術館図録より〉
下:福原路草「権現堤 昭和11年」〈福原真三 福原路草 写真集 光と其諧調/ニッコールクラブ図録より〉

 

似ている。
二人とも「対(つい)」になるものに注意が行くのだろう。僕自身も同じようにこうした関係に興味を持ってしまう。
二つある・・・ということへの深層部での反応は、たぶん誰にでもあるものなのだろうけれど、こうして余計なものをそぎ落とした図式的な捉え方を見るとあらためて考えさせられる。
ブレッソンの写真にもこの関係がいたるところにあって感動的だ。彼の写真には巧みにこの関係が隠れていてそれを見つけ出すのが楽しい。
信三の写真は情緒的で、路草の写真は観念的な印象がある。

福原路草「権現堤 昭和11年」〈福原真三 福原路草 写真集 光と其諧調/ニッコールクラブ図録より〉


植物と電柱が立っている。この二本の構図が気にいって、これまでいくつか僕も撮影した。
福原信三の写真にもこの二本構図があって、彼ら兄弟はお互いに作品をCOVERしあっているのではないかと思うくらいよく似た写真がある。
そこで僕はこの「若葉台4丁目 平成31年」を撮った。彼らのCOVERを意識してのことだ。
路草の写真には二本物体の間に、小さな斜めの雑草が写っている。
実はこの存在を知らず、僕はシャッターを押し引き伸ばして気がついたが、僕の写真には大きく相似形的に斜めの草がかぶっている。知らずに起きた偶然だ。
この偶然を面白いと思った。
ちょっと怖いくらいの偶然だった。


福原信三「武蔵奥多摩 大正14年」〈福原真三 福原路草 写真集 光と其諧調/ニッコールクラブ図録より〉


しだれる枝が撮りたいのではなく、向こうの建物を撮りたかった訳でもない。
この場所の空気感を写したかったのだろう。
僕の写真は「奈良興福寺五重塔 平成31年」


福原信三「伊豆三津浜 大正15年」〈福原真三 福原路草 写真集 光と其諧調/ニッコールクラブ図録より〉


山の稜線と松の枝の形が相似形である。あるいは稜線をなぞる松の枝である。
僕の写真「南河内郡河南町 平成31年」
木の枝が山の稜線と重なり、葉っぱの塊と山の濃淡がふんわりとした楕円形を描いていた。


福原路草「自宅庭 昭和15年」〈福原真三 福原路草 写真集 光と其諧調/ニッコールクラブ図録より〉


路草の椿は乙女椿という品種のようだ。
上下二分割の構図で撮影されている。
近くの公園で僕も椿を撮った。「椿 平群北公園 平成31年」
花と葉っぱは明度が近く、写真では同じ調子のグレーに写る。


福原信三〈三千院門前〉京都・大原1924年/光の詩情-福原信三の世界 資生堂企業文化部 図録より
下は僕の写真「奈良興福寺境内 平成31年」


福原信三「橋の下」〈写真家・福原信三の初心/求龍堂より〉


信三の写真集「巴里セーヌ」に収められている写真だ。橋とセーヌ川が写っている。福原はこのようなトンネル構図をよく用いている。
下の僕の写真は「奈良公園 平成31年」というタイトル。


福原路草「榛名湖 昭和14年」〈福原真三 福原路草 写真集 光と其諧調/ニッコールクラブ図録より〉


左下の意味不明の物体、そして写真右上にほんのわずかに写っている樹の葉は、要るものか・要らないものか・・・というようなことを考える。これは当然ながら必要不可欠な被写体なのだが、この極意を自分のものにすることが難しい。
下の写真は、COVER展に出品中の僕の写真「猿沢池 平成31年」


福原信三と福原路草

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 福原信三と福原路草の写真は似ている。似ているけれど、もちろん違うところもある。信三には風景への強い思い入れがあるが、路草の場合は少し距離を置いて事物だけを客観的に見つめているように思う。しかし、写真の持っている空気感は共通していて、ふんわりした温かい風が頬をやさしくなでるような、そういう心地よさは変わらない。その肌触りが気になって何度か鑑賞するうちに、彼らの写真を愛でるようになってしまった。

 似ているという要素は一体何なのだろう。そう考えていたら小津安二郎の「東京物語」を思い出した。あのカメラワークや画質が福原兄弟と似ている。東京物語は1953年の制作で、僕自身は同じ年の1953年に生まれた。そういう肉体的な因縁がああいう映像を好きにさせているのかもしれない。

 福原信三はトロピカル・ソホという手札型のカメラを使っていた。ハガキの半分くらいの大きさ(7.5×11cm)のガラス乾板で撮るカメラで、レンズは焦点距離13インチを使っている。手札判の13インチは35ミリカメラに換算すると105ミリレンズに相当する。105ミリといえば中望遠レンズだ。

手持ちの105ミリレンズでいくつか撮影してみたが、当然福原のような写りはしなかった。1913年頃のレンズであるし、モノクローム撮影を前提としたものと今日のカラー写真用レンズではずいぶん設計も違うだろう。そもそもレンズには癖がある。

 福原がこだわったのはレンズの画角が「自分の眼の角度」と合うことだったようだ。この辺の感覚的な嗜好は福原独自のものであり、被写界深度の浅いこの焦点距離のレンズが印象を表現するのに適していると判断したのだろう。

 いろいろなレンズを使って「福原兄弟ごっこ」をしてみた。近いイメージになったのは意外にも単眼レンズだった。ベス単レンズもその一つである。これは1912年以降に作られたレンズで、ちょうど福原兄弟が写真を始めたころ製造されている。

 もう一つはUltra-Fex(1950年頃製造)についていた単眼レンズだった。いずれも75から80ミリ相当の焦点距離で、福原信三の105ミリより短いが、レンズの自身の表現が似ている。レンズの自己表現というかそういう部分が似ているのだ。

  福原信三のトロピカル・ソホについていたレンズは遙かに高級だったと思うが、同じ時代の空気を吸って生きていたレンズであることには違いない。(日下部一司)


荒縄に垂れ下がるこんな紙切れのことを紙垂(しで)という。

しで・・・懐かしい響きだ。

ストーブの脇で紙垂を作る大晦日の父のことを思い出す。

 

さて、今日は元旦。

正月がやってきた。

僕の生まれは岐阜県郡上郡明宝村(当時は奥明方村)で、この地方では正月に餅花を飾る。

暮れには、木の枝につきたての餅を花のように小さくくっつけ床の間や鴨居の上に飾ったものだ。

餅つきと「もちばなつくり」は家族の行事で、特に「もちばな」は子供たちの仕事だった。

昔の正月は本当に晴れやかで特別の日だったけれど、最近は昨日の続きのような元日を迎えている。

 

そういえば、大晦日が開けた夜は神社に初詣に行った。

神社と言っても日本昔話に出てくるような、10軒そこそこの集落が奉る山の中にぽつんとある山の神様である。

たいてい雪が降り冷え切っていて、暗がりの中をガチガチ震えながら参拝すると、大抵誰も来ていない。

そこで奉納した日本酒を朱塗り盃でいただく。

飲んだ盃は、すぐそばを流れる水路のように小さい谷川水でささっとすすぎ、その場に設置されてる朱塗りの盆に返す。

その手元だけの映像が僕の頭の中に残っている。

暗くて寒かった。

正月だけは子供でも「おみき」と呼ばれるその飲みものが許されていた。

一升瓶から直接父が杯に注いでくれて、雪と水のそばでしゃがんで飲んだ。

酒の銘柄は、恐らく「母情」か「積翠」だったと思う。

たった一杯だったけれど、日本酒の味はここでやんわり知った。

正月に冷たい日本酒を小さな盃で呑むと、このときのことが思い出され、しんみり懐かしい。

平成31年1月1日