35ミリフィルムカメラを細工し、正方形の写真を撮れるようにした。

10年以上前の話だ。

6×6の中型カメラを持ち歩くのがたいそうに思えて、自分なりの工夫がスクエアサイズへの加工だった。

ROBOT ROYAL というような正方形フォーマットのカメラも持っていたが、レンジファインダーなのが不満だった。

ノートリミングを志していた僕はNikon F3を改造することでようやく満足したのである。

なんと言ってもF3は100パーセントファインダーで、理想的なカメラに仕上がった。

調子に乗って何台ものカメラを正方形仕様にしたものだが、近年は使用頻度が落ちていた。

そこで、久しぶりに柚子の写真を撮ってみた。

ネガチェックをしていてフィルムの傷に気がつく。

圧着版にゴミでも入っていたのか下方に横方向の細い線がある。

フィルムの傷と柚子の切断面、この二つの関係があんがい写真としてもいい感じなので許すことにした。

「雑巾がけ」で着彩すると、また正方形カメラへの楽しみが湧いてくる。

2021/12/27


ここに橋があったことがわかる。

橋名を刻んだ石柱だけが唐突に残っていた。

浄正橋(じょうしょうばし)跡の碑。

歴史ある建造物だろうから残すことになったのに違いない。

しかし後年 道路整備などの事情があってこのように沈んだ状態になってしまった。

本当に必用なものであるならちゃんと文字が見える位置で残したらどうかと思うが、結果的にこのような状態になってしまった。

要るでもなし、要らぬでもなしの扱いだ。

そういう存在感が表現されている。

しかし、沈んでいることで地面が今より低かったと推測できる。

「このくらい低いこの位置に立っていた」ということが分かるのだ。

そういう意味ではモノサシ的な記録性を持っている。

この扱いは、あんがい正解なのかもしれない。

 

と、ここまで書いて石碑の「橋」文字のあたりが変色しているのに気づいた。

「橋」の下が長い間地中に埋もれていたかのようにも見える。

石碑は時代によっては浮き上がったり沈んだりしているのかな。

なぜこの深さで今立っているのだろう。

謎は深まる。

2021/12/24


ネットで購入した万年筆「ふでDEまんねん アイボリー」が届いた。

写真で見たより白っぽいのでちょっとがっかりした。

モニターではもっといい色だったのに。

ま、仕方がない。

ネットショッピングの宿命だ。

時代だね。

 

二つ折りの「商品取り扱い説明書」が入っていたので、取り敢えず読もうとひろげてみても文字が書かれていない。

頁がくっついているのではないか、剥がそうと試みながらQRコードに気づく。

なんだスマホで読めと言うことか。

時代だね。

2021/12/19


パソコンを使うようになって文字を書かなくなった。

そのくせブラインドタッチはできない。

パソコン以前は書くしかなかったので、下手な文字を連ねていた。

字が下手というのは生来のコンプレックスで、ワープロが出てきたときはとてもありがたいと思ったものだ。

以後、手紙やはがき、その他の書類はできる限りパソコンで書くことになってしまった。

そうこうしているうちに、パソコンで書かないと作文もできなくなってきた。

パソコンはもう身体の一部である。

と、かっこよいこともいえない。

文字を書かなくなると漢字を忘れる。

目は漢字のことを覚えていて読むことはできるが、手は彼のことを忘れてその輪郭も浮かばない。

目は肥えるが手は肥えない。

ちょっと違うか。

 

で、またしても万年筆を買ってしまう。

文字を書かないくせに筆記用具が好きだ。

意味もない線や文字を書いて遊ぶ。

カメラの空シャッターみたいな遊び。

 

「ふでDEまんねん」という大阪人みたいな筆記用具をもうすでに数本持っているのにまた買った。

激安なのに書きやすいからこれが好きだ。

軸色がベージュ。

限定品のこれをネットで見たとき「残り3本」とあって、思わずポチってしまった。

今日、もうすぐ届くはずだ。

今朝同じサイトを見たら「現在在庫切れです。」と表記してある。

なんとこの2日間で3本が売れた。

 

ペン先が55度に曲げてある。

55度とはこれまでより急角度で、ここが今回のこの商品の売りらしい。

ボールペンやシャープペンシルを使う現代人向けの万年筆というふれこみだ。

要するに筆記具を立てて書く人をターゲットにしている。

2021/12/19

 


感材価格が高騰してきた。

種類も激減し、暗室作業をする者にとってはますます困難な時代になってきた。

気に入った希少な印画紙を一昨年に見つけて、最初は幸運にもネットで、昨年からは行きつけのカメラ店にお願いし取り寄せてもらっている。

 

8×10inch バライタ紙 50枚入り。

ネットでは足元を見たのか信じられない価格(30,000円)だった。

でも買った。

カメラ店でも相応の高価格で売られているが致し方ない。

 

今回新たに注文しようとしたら、品物自体が入荷しにくくなり在庫が6箱だという。

またしても「きたか!?」と思った。

気持ちが動転し、奮発して2箱買うつもりが・・・残りの6箱全部を大人買いしてしまった。

6箱全部買った。

「賞味期限」のあるものだからずいぶん迷ったが、今の制作には欠かせない。

ちょっとしたキヨミズの舞台だ。

 

思えば気に入った商品は、手に入りにくくなり最初は品質ダウンし、そして製造中止となる。

富士フィルムのアートエマルションなんかもそうだった。

おそらくこの印画紙も多分もう入手できないと思う。

人類の遺産だな。

終末感がさみしい。

2021年12月17日

 


丸いフレームギリギリに太陽を撮ると、このようにフレアとゴーストが出る。

昨日撮った写真は派手に出て、放射線が写った。

漫画のようだ。

完全な円が欠ける現象を「病円」というらしい。

その欠けた部分から陽光が射す様子を撮ろうとしたが、思いのほかダイナミックな光線になった。

最近「フレーム」のことが気になって、こんな実験をしたりしている。

月の場合はこのようにおとなしい写りだ。

上辺中央部に月が写っている。

2021/12/14


 

この一年に撮った写真をまとめようと思う。

ぞうきんがけの写真のことだ。

名古屋のウエストベスギャラリー・奈良のギャラリー勇齋で発表した作品50点に十数点加えた写真集を作りたい。

手に取って展覧会を見るような装丁をあれこれ考えたが、結局シンプルなつくりの印刷物になりそうだ。

 

フィルム写真は印画紙、デジタル写真は印刷物を支持体にして定着するのがもっとも適した方法ではないかと思っている。

今回のこの写真集は印画紙にプリントしたものを印刷するわけだから本来の作品のよい部分は表現できないが、本形式で写真を見る仕掛けを作りたかった。

手に取って頁をめくる動作は触覚的で、ものを見る神経が集中するように思う。

展覧会のように自分の意志で眺めている感じもよい。

向こうの都合で見せられるのはもうしんどいと思い始めている。

 

パソコンでその原稿を作っている。

A1横の長さのものを四つ折りする体裁のデザインを考えた。

プリンタでA4に縮小しそれを切り、折りたたんでそれぞれの写真の位置を考えてきた。

これで良しということで、念のため実物大にプリントし「製本」してみたら、細かいところでバランスの悪い部分が見つかる。

原寸大ということが重要だ。

手に取ってみるということは原寸の作業だったのに、改めてそのことに気づく。

2021/12/13


必要が作り上げた不必要な光景。

2021/12/10

 


先日 皆既月食があった。

スマホでこれを撮ろうとしたら、欠けた月が満月みたいに写ってしまう。

なぜだろう。

原因がわからず、何度かシャッターを切っていたらピンボケ写真ができた。

あとで見直してみたら、これが一番よかった。

軟焦点写真のぼんやりは空気感を纏うな。

2021/12/06


夏の風景
夏の風景
晩秋の風景
晩秋の風景

12月になった。

一日の長さはそれほどでもないが、一週間・一ヶ月・一年 と時間のまとまりが大きくなるほど時の流れを早く感じる。

通勤の途中で眺める「枝と山」の風景が変化している。

紅葉が終わり、木の葉が落ちようとしていた。

写真の骨格が見える感じだ。

2021/12/01