[数量と位置]

シャッターに取っ手がいくつもついていた。

必要と不必要がデザインされている。

2022/03/25


[写るということに求めるもの]

ANSCO VEST POCKETのレンズ[AnastigmatF6,3]をSONYのα7Rにとりつけて試写をした。

さすがに104年前のレンズらしくコントラストも弱く色彩も濁っている。

モノクロームの時代のレンズだからこれは仕方ない。

白黒に変換したら、やはり古い写真みたいになった。

しかし、予想に反した中途半端な描写でもの足りない。

自分はなにを求めているのだろう・・・。

2022/03/23


[空気]

蛇腹カメラのジャンクを衝動買いしました。

ANSCO VEST POCKET No.0、1917 年製の蛇腹カメラです。

もうボロボロで、ボディの革は剥がれているし蛇腹はパリパリ、蓋も金具がだめになりちゃんと閉まらずセロテープで止めてありました。

相当なものです。

しかし、レンズをとり外し分解掃除したら新品のようにきれいになりました。

この時代のレンズはコーティングなどしてないので、掃除をしたらあんがいきれいになるのです。

そして発見したのです。

ガラスの中に気泡があることを。

105年前のアメリカの空気が小さくレンズの中に閉じ込められていました。

ああ、これはまるでマルセル・デュシャンの「パリの空気50cc 」のようです。

2022/03/21


[顔が見えない]

今年3歳になる幼児は、世間の人々の素顔を見る機会が極端に少なかった。

感染症対策のマスクのせいだ。

父親や母親、そういう家族の表情を見ることはできるだろうが他者の喜怒哀楽の表情が読みにくい。

そいういう環境で3年間の人生を送ってきたことになる。

この先何年こういう状況が続くのかわからないが、彼の情緒に影響を与えないはずはないだろう。

全世界の3歳児のこれからと世界の変化を憂う。

2022/03/19


[匿名]

SNSに限らず、現代では個人の匿名化が進んでいるな。

住所も氏名も、性別もわからない生物が暗躍しているように感じる。

意見は述べるが責任はないような世界。

いや責任はあるんんだろうが、匿名の一生物がそこに生きているだけ。

マイナンバーのようなもので、番号がふられた生き物が生きる世界。

人間としての個人てあるのだろうか。

戦争も、人間を殺すのではなくて「番号」を消すような作業に見えてきた。

もうほとんどゲームの世界だ。

ゲームの世界なんか僕は知らないけれど、想像できる。

なんだかなあ・・・・。

2022/03/15


[数字と量感]

 数字と量感の関係を察知することが苦手だ。しかし、世の中は数字が幅を利かせている。

 入試シーズンは終わったが、偏差値や合格点などよく話題になる。オリンピックも0.01というような数字が勝敗に関係していたし、オミクロン感染者も都道府県別に数値化される。その数字と量感の関係をどれほど自分で体感できているのだろう。

 大きい・小さいを重さや長さで表記できるだろうが、実際は視覚と触覚、さらに言えばそれにまつわる空気を感じ取ることだと思ったりもする。

2022/03/04


[視覚の記憶]

いつの頃からかひげを伸ばすようになった。

随分長い間伸ばしている。

口ひげだけのときもあったが、あごひげも伸ばすようになって久しい。

 

で、昨夜はあごひげを剃ってみた。

自分では大したイメージチェンジだったけれど家人は気づかなかった。

家人も気づかないなら他の誰もが気がつかないだろう。

もっとも近頃はマスク生活なので素顔を見せる機会も少ない。

仮に食事のときにマスクを外したとしても、相手の顔の詳細なんて記憶から薄れている。

そういうことを面白いと思った。

髪を切ったことに気づかないカレシのことを責める女の子の気持ちがわからぬでもない。

他人は自分のことをそこまで観察したり興味をもって見ているわけではない。

存在は認めているが、空気のような気配としてとらえている。

 

いつも通る道で、建造物が取り壊されて更地になった場所と出会う事がある。

そこになにがあったのか、思い出せない。

どうして思い出せないのだろう。

なにか建物があったことは確かなのに、その詳細が記憶から消えている。

これは年齢のせいかもしれないが、物の存在が消えることへの鈍さを感じる。

ひげの問題もこれに似ている。

視覚から消えることに関して、人間の感覚は鈍感なのかもしれない。

 

2022/03/01