69歳になった。

めでたいことだ。

面白半分で「69歳」という単語を検索してみたらこんなものが出てきた。

69歳の人へのプレゼントという体で、生まれ年のワインを売る広告だった

246000円・286000円、こんな価格で、たかがワイン一本が売れるのだろうか。

この歳になるまで そんな不釣り合いなことをしたことがない自分にはとうてい信じられない。

仮にこれをプレゼントされたら残りの生涯をビクビクしながら生きないといけない気持ちになる。

ワインは歳をとると値打ちが上がる。

概ね酒は腐らない。

うらやましいな。

2022/11/28



Micro-NIKKOR  55mm  F3.5
Micro-NIKKOR 55mm F3.5

Micro-NIKKOR  55mm  F3.5で撮った写真に円形の光が写った。

この丸いかたちを見てTrioplan 100mm f2.8のことを思い出した。

Trioplan 100mm f2.8
Trioplan 100mm f2.8
Trioplan 100mm f2.8
Trioplan 100mm f2.8

それで、今朝ちょっと試し撮りをしてみた。

丸い形のボケが生じるのは同じだが、丸に輪郭がある。

そしてボケの重なりがしっかり現れている。

バブルボケと言われる所以だ。

シャープなボケ・・・というような気持ちよさがある。

2022/11/24


ポールが傾いていることによって、これに加わった力の量を感じる。

つまり力の強さそのものが写るのだ。

「そこにあるもの」は、過去の出来事を表現するかたちなんだなあと思ったりする。

2022/11/23


池があった。

水が溜まって風景が映っている。

手前に松の枝がせり出している。

この松の木の葉が、隠れて見えない山と相似形であるところにちょっと惹かれた。

窮屈な重なりもいい感じに思えた。

 

ちなみに池とは?

沼とは?

湖とは?

 

 

[池]

くぼ地に自然に水がたまった所。

また、地面を掘って水をためた所。

ふつう湖沼より小さいものをいう。

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[沼]湖より浅い水域。

ふつう、水深は5メートル以内で、フサモクロモなどの水中植物が繁茂する。

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[湖]

周囲を陸地で囲まれたくぼ地に水をたたえる水域。

池や沼よりは大きく、沿岸植物の侵入できない深さのもので、ふつう最深部が5メートル以上をいう。

 

2022/11/16

この夏に行った由布院の金鱗湖は小さな湖で、池とどのように違うのか疑問だった。
この夏に行った由布院の金鱗湖は小さな湖で、池とどのように違うのか疑問だった。
金鱗湖の鯉
金鱗湖の鯉

フィルムカメラで円形写真を撮りたくてニコンの20ミリを加工して円形に写るようにしたことがある。

モノクロームフィルムに円形の写真が写る仕掛けである。

ネガキャリアも自分で作って何枚か焼いたが、続けることができず意欲減退してしまい長い時間が流れた。

それまで円形写真をずっとデジタルカメラで撮ってきたせいか、撮影時の感覚がどうも違う。

そのことが気乗りがしない原因のように思われた。

 

先日撮影したカラーの円形デジタル写真をパソコン上でモノクロームに変換してみた。

なんだか写真の軽さがなくなって重く感じる。

撮影者としてはプリントするまでの作業工程が長い分、フィルム写真に「軽さ」を感じられにくいのかもしれない。

フィルム写真には思いを込めてしまう。

やはり円形写真はカラーで・・・しかもデジタルの方が良いように思った。

2022/11/14


「四つの隙間」 ゼラチンシルバープリントに調色  2009
「四つの隙間」 ゼラチンシルバープリントに調色  2009

 

2009年に「四つの隙間」という作品を作った。

京都の出町柳駅付近で撮影したものだ。

その時のことを今でも覚えている。

些細な出会いなのに写真は記憶までも写しとってしまう。

この作品は、バライタ紙に調色処理をしたものだ。

ブルーとセピアの調色剤を混合して使っている。

そのせいで経年変化が生じるようだ。

当時の作品を今見ると写真の黒い部分に銀が浮いて出てきている。

金属質の光沢を持った部分が写真の物質感を醸し出すのだ。

このことには当時から気づいて多用したが、残念ながらブルー調色剤が製造中止になってしまった。

それ以来制作ができていない。

最近は「雑巾がけ」で調色をするようになった。

銀が浮く・・・という現象はこの方法を採るようになってからまだ生じていない。

今の作品がどのように育つのか楽しみではある。

2022/11/13


この夏には、撮影で由布院と美濃加茂を歩いた。

一日30000歩も歩いたので、足の爪が三本内出血してしまった。

爪と肉の間に溜まった血液が最初は赤く、次には黒くなった。

先日一枚、今日一枚きれいにはがれて、はがれた後は柔らかな生まれたての爪が生成されていた。

まるで蝉の脱皮のようだと思う。

 

こういう写真は鼻くそや耳くそのように、他人から見たら不潔なものだろうけれど、自分にはいとおしい。

若いとき、右手小指と薬指を電気カンナで削ってしまったことがある。

あの時も、粉々になった小指か薬指の爪先を拾った。

それも乾燥したらやっぱりこんなふうに蝉の殻のようになってしまった。

 

爪というのは昆虫や爬虫類や甲殻類を思わせる。

ぽろりと取れることで、自分の中の他者を見る思いがした。

2022/11/09


見事な余白を見つけると撮影しておきたくなる。

言うまでもなく余白は矩形が作り出すものであって、その余白そのものを撮ることができない。

余白を撮るには、それを作り出す風景と四角いフレームが必要だ。

2022/11/08


一本の線が気になったのだが、この線だけを抽出できないわけで・・・。

余分な風景が必要なのだ。

その兼ね合いで、単なる線に惹かれることになる。

2022/11/06 


 「旅人は自分が持っていたものを持って帰る」というフレーズを学生時代に知った。どこで知ったか定かではなく、気になって今ごろ調べてみたらゲーテの言葉だった。なんだ、ゲーテやったんや。

 要するに、人は旅をしていろいろな経験をするが、結局自分の持っていたものだけを持って帰るのだ・・・というふうに僕は文面通りに平たく解釈している。ただそれだけのことなのに、年齢を重ねるとただただ単純にこういう言葉が身に沁みる。若い時には実感できていなかった言葉が自分の中で育っている。

2022/11/02