[延々と連なる風景]

写真で撮影する風景はいつも矩形の中に収まる。

そこが面白い。

でも、風景自体は四角いものではなくて、繋がりながら延々と続いている。

自分の立つ位置を変えたり、角度を変えることで同じ風景が全く違う場所に見えたりするから、僕は散歩が好きだ。

名所旧跡を見たいわけではない。

日常の変哲もない風景を動きながら観察することが面白い。

面白がりながら、その風景を愛でるのだ。

 

来年の1月、美濃加茂市民ミュージアムでの個展を企画していただいた。

天井も高い少し大きな会場なので、どんな展覧会にしようかと考えている。

大きな空間を立体的に演出するアイデアと必然が今はない。

なので、最近続けている小さな写真シリーズを並べようかとも思う。

いただいた会場の図面をもとにシミュレーションしてみたら、100点前後の作品が並びそうだ。

目の高さで等間隔に・同じ大きさの作品を・ごく普通に 淡々と並べるだけの展示をしてみたくなった。

それはちょうど、実際の風景が延々と連なるような眺めになるに違いない。

2022/02/27


[油断ができない]

「矩形を眺める」というシリーズで写真作品を作っている。

このシリーズはいつ終わるかわからないけど、おそらくライフワークとして細々と続けるだろう。

矩形という四角いかたちを用いた風景の見方が面白く飽きることがないためだ。

 

先日、所用があって岐阜駅前のホテルに泊まった。

岐阜市で泊まるときはたいていいつもここにする。

そのホテルの向かいには繊維組合の古びたビルが建っていて、このビルを眺めるのが密かな楽しみもある。

このビルを撮った2020年の作品「矩形を眺める・F」は、矩形の中にどうやって収めるか・・・岐阜に行ったら必ずカメラを向けて悪戦苦闘しながら何度か撮影してできた作品だ。

先ほど「このビルを眺めるのが密かな楽しみもある。」と書いたが、正確には「・・・楽しみだった。」と今は訂正しなければならない。

大好きなビルの、その変わり果てた姿を発見したからだ。

壁面の大半に絵が描かれている。

青い空と雲の絵だ。

そしてその絵ががまた稚拙な出来で愕然とした。

このビルはおそらく1960年代後半から1970年代初めに建てられたものだと思う。

コンクリート打ちっぱなしのこの工法はその時代に多く用いられたし、技術的にもまだ過渡期のような粗雑な作りなので、その年代の建築物だと勝手に推測するのである。

しかし、その粗雑さがとても良い味を醸し出し、巨大な彫刻のような存在感を保っていた。

その風景が好きで、その景色をいつも愛でていたのである。

 

この景観を「よし」とするかしないかは個人差があるだろう。

ま、景観はともかく安全性についての心配はあったかもしれない。

壁画を描くことで、建築物の強度が増すわけでもないのだが、こうすることで老朽感を隠すことができる。

だからこの行為に及んだのだろう。

 

写真はそのときに撮っておかないと、いつこんな風に破壊されるかわからない。

油断が出来ない・・・。

カメラをいつも持参しないといけない強迫観念に駆られるのも、こういうことがあるからだ。

2022/02/21


[最後の一筆]

「絵を描き終える」とは「もうこれ以上描くことができない」「これ以上描いたらこの作品がだめになってしまう」という、最後の一筆を入れた時を言うのだろう。

ゴッホもマチスも、ピカソだって一枚の作品における最後の一筆があるはずだ。

一枚の絵にあるその場所が知りたい。

2022/02/17


[ノッチ]

先日購入したKONICA Acoom-1でフィルム一本を撮影した。

ネガを眺めてあたらめて気づいたのだが、フィルムの隅・左下に半円形の切れ込みが一カ所ある。

ああそうだった・・・と、同時にハッセルブラッドのことを思い出す。

Hasselbladで撮ったフィルムには画面の左側に二カ所の三角切れ込みがある。

これをノッチという。

ハッセルで撮った写真は必ずこのノッチが刻まれるのである。

いわばこれは「ハッセルマーク」であって、他の6×6カメラとはちがうよ、ハッセルブラッドだよ、という差別化をここに見ることができる。

35ミリカメラではコニカだけがこの細工を真似ている。

従って、コニカで撮影したら「コニカマーク」が写り込み、この写真はコニカのカメラで撮ったよ、という主張をするのである。

裏蓋をあけてその細工をiPhoneで写した。(↑写真参照)

小さな切れ込みがあって、これがコニカマークを作るのだ。

この「コニカマーク」のついたネガを、ノートリミングでプリントしたくなった。

些細な撮影への動機である。

しばらくコニカを持って撮影することになるだろう。

2022/02/06


[10000という時間]

2018年の1月に、それまで使ってきた自分のホームページを作りかえた。

以前は長い間BiNDを使っていた。

頻繁に新しいパッケージでバージョンアップし、その都度代金が生じる。

使っていると動きが遅く重くなって、時折レイアウト崩れなどのトラブルが発生する。

そんな理由から思い切ってこのWixに変えた。

Wixに満足している訳では無いが、BiNDよりは付き合いやすい。

 

今朝開いたら、カウンターが10000人(回)と示している。

こういうちょうどの数字に反応するのは不思議だが、ちょっと記しておこうと思った。

この数字の99.99パーセントは自分自身がアクセスしたものだけれど、この四年間の時間の流れを感じる。

早かった。

あと4年経つと、僕は72歳になる。

生きているかなあ、とリアルに思う年代に突入しようとしている。

 2022/02/06


[ファインダー視野率]

中古カメラをまた買ってしまった。

Konica Acom-1という1976年の製品だ。

コニカのレンズを気楽に使えるカメラが欲しいと思っていたら1880円という価格で売られているものを見つけ即衝動買いをした。

当然ぼろいし、シャッター速度優先オートもどこまで信用できるか疑問だ。

さいわい、機械式シャッターなので撮影に関する基本的な動きは問題なさそうだ。

モルトの張り替えなどして、これからの撮影に備えたい。

ファインダー視野率が気になって調べてみたら90パーセントだという。

おっと、これには参った。

先日買ったPENTAX MZ-3が92パーセント、オリンパスペンFシリーズが92パーセント・・・これでも相当低いと思っていたら90パーセントかぁ・・・。

基本的に写真はノートリミングで焼くのでこの数パーセントの差は撮影時の不安材料につながる。

フィルムカメラでの100パーセントファインダーはNikon F一桁シリーズで、この点はNikonに勝るものはない。

ならニコンを使えばいいが、カメラ遊び人にはそれができない。

カメラの魅力はいろいろあるから、データだけでは判断できないということだ。

Nikonも使うがKonicaやPENTAXも使う。

2022/02/03


[ソフトレンズ]

SMC PENTAX SOFT 1:2.2 85mmというレンズを持っている。

軟焦点レンズに凝っていた頃購入した。

ずいぶんムカシに秋山庄太郎という写真家がコマーシャルしていたレンズだったことを覚えている。

秋山さんの写真はただただ甘くて、僕には興味が持てなかった。

その秋山さんがコマーシュアルするレンズを後年買うことになるとはなんだか後ろめたくもある。

もともとベス単レンズやキヨハラのレンズで軟焦点に興味を持った自分だが、このペンタックスのソフトレンズはまるで秋山庄太郎みたいで、購入はしたものも好きにはなれなかった。

ある日、解放で撮った電柱の写真がことのほか謎めいて写り気に入ってしまった。

こんなこともあるものだ。

画面の端っこに写るものが極端にぼけて周辺に流れるのだ。

これはこのレンズの持ち味で、秋山さんの写真には見られなかった収差の魅力だ。

それに気づいてから、このレンズを使うフィルムカメラが欲しくなった。

鏡胴の絞りリングにはクリックがなく絞り値も表記されていない。

当初PENTAX MXで使っていたが、僕のMX は露出計が壊れている上にフィルムカウンターが動かない。

シャッター速度も1000分の1までなので解放で撮影しようと思うと困難が生じる。

シャッター速度と絞りを勘で決める僕にとっては絞り値表記のないレンズは心許ない。

そうこうしていたら、このMXがミラーアップしたまま復元しなくなってしまった。

壊れた。

そんな経由があり、今回PENTAX MZ-3をメルカリで見つけ買った。

5200円。

ストロボ部分が壊れている品物で安く買えた。

僕はストロボを使わないのでこれで十分だ。

しかも4000分の1までシャッターが切れ絞り優先撮影もできるオートカメラだ。

で、PENTAX MZ-3 + S MC PENTAX SOFT 1:2.2 85mmという組み合わせで最近撮り始めた。

やんわりとした顔で大暴れする。

秋山庄太郎はこのレンズで花をよく撮ったが、さすが花を撮るとおとなしくきれいにまとまる。

彼の写真のようだ。

2022/02/02


[この偶然に心動く]

徐行を促す看板に亀のイラストが描かれている。

顔の部分に目と口が見える。

誰かのいたずらだろう。

そう思って近寄ると、どうも偶然できた傷のようだ。

何か尖った硬いものが当たってこすれた感じだ。

ピンポイント過ぎて、その偶然に心が動く。

2022/02/01