私は1972年に大阪に来た。

その時初めて聴いたと思ったが、うろ覚えだった。

MBSラジオの「ありがとう浜村淳です」のことだ。

 

1974年に放送を始めたということなので、あれから2年後だったらしい。

番組は来春で50年になるという。

初めてこの人の語り口を聞いたとき、生粋の関西人はみんなこんなしゃべりかたをするのかと思った。

しかし、それは浜村調の関西弁だと後で知る。

月曜日から土曜日まで休むことなく50年間番組を続けてきたのだから敬服する。

 

今の勤務先に移ってから車で通勤することになり、40数年ぶりに浜村淳の番組を聞くようになった。

しかし、浜村は来年3月末日をもって勇退するそうだ。

尤もそれ以後は土曜日一日だけの番組になるということで、「ありがとう浜村淳です」自体ががなくなってしまう訳でもないようだ。

 

3月末日といえば私の退職日と重なる。

私は自宅でラジオを聞かないので、おそらく通勤時間の消滅がこの番組とのお別れになるように思う。

だからどうだということでもないが、私の関西生活の一区切りを感じて感慨深い。

本日、浜村淳88歳・日下部一司69歳の2023年9月26日である。

50角形
50角形

『ありがとう50年」のロゴマークにある円形は、実は50角形だそうだ。

しかし、眺めてみたらほぼ円形だ。

多角形になればなるほど正円に近くなる。

だから69歳の「69角」は、より滑らかだ。

「88画」はそれ以上に円形なのだ。

 

100画や1000画、10000画などになると、ルーペで見ても正円と見分けがつかないだろう。

しかし、角形であることは間違いない。

 

2023/09/26


 

 

推敲の痕が残る原稿用紙を見るのが好きだ。 

かつて見たことがある宮沢賢治の「アメニモマケズ手帳」の現物も面白かった。

集英社新書の「直筆で読む」シリーズもよかった。

大宰治の「人間失格」の原稿をそのまま印刷したものを読んだが、筆跡や線の入れ方、推敲の痕跡が彼の思考の痕跡として残っていて、活字で読むより面白い。

何を消してどのように修正したか・・・というようなことを楽しむ。

 

谷崎潤一郎記念館で見た、「細雪」の 反故原稿も興味深かった。

2本線で文字を消す方法などではなく、真っ黒に塗りつぶしてある。

もとの文言を絶対読まれないようにしているのだ。

消しました、という事実だけが残る。

 

16日から谷崎潤一郎記念館で永草次郎氏キュレーションによる「現代アートからの谷崎礼賛ー岩野勝人・日下部一司」という展示に参加することになった。

「谷崎礼賛」というタイトルは、おそらく陰翳礼賛から来ているはずだ。

「陰翳礼賛」は谷崎のエッセイで、日本家屋の光と文化について述べている。

 

光といえば写真だ。

光の痕跡が写真だから、僕は写真を雑多に展示をしようと思い立った。あと、空間の中で刻々と変化する光を観察するためのオブジェ(既製品)を配置しようと思っている。

 

それにしても、谷崎潤一郎の愛猫「ベル」の剥製があるとは知らなかった。

生々しい。

2023/09/14

 


いつもトイレマークと呼んでいるが、マークではなく「ピクトサイン」というのだ。

トイレピクトと呼んだりするそうだ。

その時は覚えるが、すぐに忘れる。

文字も添えられていることもある。

「女性用トイレ」「男性用トイレ」「男子便所」「女子便所」とか「殿方」「婦人」とか「WOMEN」「MEN」とか・・・。

で、このあいだ回転寿司屋さんに入ったら、この部分が「おんな」「おとこ」とひらがな表記してあった。

文字の大きさもあるが、何だか単刀直入で印象に残る。

ことばのデザインがまだ施されていない、露骨感のせいだろう。

2023/09/14


鉋(カンナ)刃や鑿(ノミ)の刃を研いでいる。

刃物の研ぎ面がまっすぐ平坦にならないといけないので、砥石の平面性も問われる。

したがって砥石の凹みを直す「砥石面直し」砥石が必要になり、これを使ってこまめに砥石の平面を出すことになるのだ。

定規をあてて砥石の平面を眺めていて、砥石を平坦にすることも難しいことに気がついた。

通常は砥石の表面に鉛筆で線を書き入れ、それを研ぐことで平面状態の確認をするのだが、鉋台を調べるとき用いた定規を使う方法を転用したのが悪かった。

ささいな部分が目につき、それが妙に気になる。

刃物を研ぐつもりが、砥石を研いでいる自分に気付き苦笑する。

完璧な平面が得られた砥石で刃物を研ぐなんてもったいない気持ちになる本末転倒。

2023/09/06


谷崎潤一郎記念館での「現代アートからの陰翳礼賛」という企画に出品する。

会期が9月16日(土)~12月10日(日)で、少し長い。

 

「陰翳礼賛」は谷崎のエッセイだ。

日本家屋の「光」について述べている。

光といえば写真だ。

光の痕跡が写真だから、僕は写真を雑多に展示をしようと思い立った。

あと、空間の中で刻々と変化する光を観察するためのオブジェ(既製品)を配置する。

 

2023/09/01