【純粋線】

 

線を描く。

線を書く。

線を引く。

というふうに表記をします、一般的に。

線は 描いたり・書いたり ・引いたりするのです。

 

人間が最初に描くのは「線」ではないかと思うのですが、どうでしょう?

いきなりミニマルアートのように色面を大画面で制作する幼児はいないと思います。

そこはみんな平等に「線」から入る。

 

日常的に、線はどういうときに用いられるのでしょう。

1/「文字」という記号を表記するとき。

2/建築や地図などの「図面」を書くとき。

3/絵を描くときの「輪郭線」として用いる。

4/デッサンで「陰影」をつけるとき。

5/道路などに「白線」を引くとき。

ほかにもあるかもしれませんが今僕には思い浮かびません。

でもたいていこんなところでしょう。

 

しかし、実はもう一つ大事な線があるのですね。

 

なにかの目的に従属しない「純粋線」という線です。

念のために言いますが、辞書を引いても出てきませんよ。

これは盲点ですよ、「純粋線」の存在。

線が線であるために、ただ単にそこに存在する線。

毅然として、一本 筋の通った、清い線のことです。

 

幼児の最初に書く線はこれに近いと思います。

何かを表現するために書くのではなく、おそらく本人も自覚のないまま書いてしまう線。

「作為のない意志の痕跡」と言ってもよいでしょう。

 

しかし、こういう線も、意味を生じることがあります。

それはほとんど偶然ですが、何かに見えてしまう。

壁のシミのような現象ですね。

こうなるともう、たとえ幼児の最初に書く線であっても「純粋線」とはいえません。

なにものにも従属しない線、「純粋線」の道は険しいのです。

 

おそらく、熟練した芸術家だけが 作為を持ちながら、意味を持たない・なにものからも解放された・無作為な「純粋線」が引けるのです。

そういう人に私はなりたい。

2020/05/27


10月末で個展が終わった。

今回は古い役者を新人と共演させて新しい物語を作っていくような展覧会にしたいと思った。

その意味で、個々の作品が必ずしも「新作」である必要はない。

つまり、どんな内容の物語を提示するかということだ。

2020/11/02