【そこにある】

ただそこに、こうして、ブロックが二つあるだけだ。

2020/04/27


【光が降る】

惜しげもなくゴーストが生じた。

円の向こうから漏れてくる。

光のばらまき。

2020/04/25


【絵を描く】

水が流れた痕跡がある。

それ自身を描いたような絵になっている。

こんな場合、円の中心が排水口になるな。

2020/04/24


【回転運動】

ものは回転すると円形を描く。

そのせいか、こういう傾きのある形から回転運動が感じられる。

2020/04/19


【中心がある】

矩形の中心を探そうとしないが、円の中心は見つけやすい。

円を覗くと中心に目がいく。

2020/04/18


【Kowaの風穴】

コルゲンコーワのKowaがレンズを作っている。

以前はカメラも作っていた。

そのコルゲンレンズで撮った写真がこれだ。

レンズを換えたら写りも違う。

「病円写真」を撮ると、このように光が走るのが特色だ。

いつもこうなる。

同じ場所を撮影した昨日の「病円」はのCanonレンズである。

キヤノンは走らない。

落ち着いたものだ。

2020/04/17

 

 


【空気穴】

円周が欠けた円を「病円」と言うらしい。

最近は、この「病円写真を撮ろうと思っている。

2020/04/16

 

【註・病円】

ブルーノ・ムナーリ かたちの不思議「円形」平凡社 阿部雅世 訳

 「円周が、ほんのわずかに切れている円のことを、完全性を欠いた円「病円」とよびます。円周についた小さな傷が、円の持つ永遠性を損なってしまうからです。この「病円」が生む様々な問題は、円の不思議を解明するための重要な糸口でもあります。」(抜粋)


【必然が生まれる】
プランターの上のブロックが「解剖台の上でのミシンと傘の不意の出会い」みたいだ。
赤地に白の矢印が一連の並びに方向性を与え、 必然であるかのような状態を示している。
三角コーンの白い線と地面の白い線がつながるのも、ロープの流れも、この矢印が演出する連続感だ。

2020/04/15


【円い屋根を撮る】

下方に円周に沿うフレアが出た。

この白が良い感じに画面をまとめた。

2020/04/14


【光が走る】

どこを走るか・・・。

それはレンズの中、硝子の中だ。

2020/04/13


【プリメ村】

2012年の2月から2016年の3月まで「プリメ村」(←クリック)というサイトを運営したことがある。

これは大阪芸術大学附属 大阪美術専門学校・プリントメイキング専攻のホームページとして作った。

当時、志願者が非常に少ない専攻だった この専攻のことを、自虐的に「過疎の村・プリメ村」と想定し 制作したものである。

 

2016年4月にこのサイトを閉じたものの、Web上では閲覧可能な状態であった。

しかし、閉じて半年後くらいに行われたKDDIのシステム更新の折、私の不注意で手続きを怠ったことにより、アクセスしても開かない状態になってしまい もう諦めていたのだが、昨日再挑戦してみたらなぜかすんなり開いた。

懐かしい。

 

「今日のひとむしり」は毎日更新し、ほとんど日記のような連載になった。

私は「村長」役でこのサイトを仕切ってはいたけれど、当時の学生さんや卒業生、それに先生、事務職員さんや村長の知り合い・・・そういうみんなでつくった。

今、読み返すと懐かしい。

2020/04/12


【空気を見る】

鉄板に空けられたU字型の穴と、欠けた雨樋が想像させる、見えない形。

2020/04/11


【山が動く】

修理が必要。

2020/04/10


【痕跡を消す】

消すことは表すことだな・・・。

2020/04/08


【繰り返す】

時間差で同じ場所に繰り返し描かれたサイン。

最近こういうものに惹かれる。

理由はわからない。

2020/04/07


【危険という感覚】

矢印と自転車が別方向を向いて危険を感じる。

正確な補助線は気持ちがよい。

2020/04/06


【関係、という眺め

それぞれ独立した「ある箇所」と「ある箇所」が関係をもつ様子。

赤い丸印は、桜(おそらく桜の一種)の幹や枝が背景に同調する箇所を示している。

2020/04/05


【消えたら見えてくる】

看板を掲げる場所における使用方法の変更があったのだ。

おそらく通常の道路を「こどものあそびば」として提供していたのだが、車両が通行する事例が生じ危険だと問題となり、時間を区切って「車両通行禁止」にしたのだと推測される。

いや、「こどものあそびば」自体を廃止し、車両の通行量を単に規制したかっただけかもしれない。

 

いろいろな雑音がこの平面空間を作っている。

雑音とは、文字情報であったり、色彩であったり、時間であったり、政治であったり、周辺住民の様子であったり、生活形態であったり、社会問題であったり、予算問題であったり、造形性であったり、その他雑多な雑音である。

雑多な雑音、と言う表現もどうかと思うけど、塗料が消えて初めて見えてることがらが面白い。

「消えたら見える」なんて。

2020/04/04

 


【意識のスキマ】

おそらく最初からこうする予定はなかったはずだ。

いつのまにかこうなった。

「意識の隙間」がこれを作った。

美意識ではない、無意識の所作。

2020/04/03


66歳の私。作品は24歳。
66歳の私。作品は24歳。

【時が流れる】

昨日、泉佐野市立文化会館に行ってきた。

建設当初は「泉佐野市総合文化センター」と呼ばれていたはずだが、今は「エブノ泉の森ホール」という看板がかかっていて、これが愛称となっているようだ。(ホームページ参照

正面玄関に向かう歩道(橋)にこんな石の設置物があるが、これは私の作品だ。

1996年、当時のAD&Aギャラリー(大阪)の仕事で ここに作品を入れていただいたのだ。

半球形の御影石の上に ぶ厚い銅板を貼った立体作品で、銅板は自分で加工したが、御影石の方はある彫刻家に依頼し制作してもらった。

私にしたら唯一の「石彫作品」である。

24年の時間が経った。

カメラを持って写真散歩をしようと、かねてより気になっていたこの場所に昨日は出向いたのである。

設置してから一度もここに来たことがなく、その後の作品の状態が気になっていた。

傷や風化によって酷いことになってはいないか・・・あるいはすでに撤去されてしまったのではないか、と見に行くのが実は怖かった。

しかし、意を決して昨日はここに出かけた。

 

時節折り、人混みを避けて ガラ空きのJR阪和線(普通電車)に乗り 熊取駅 で下車する。

熊取からここまで歩き、九分咲きの桜が茂る階段をのぼるとこの風景が広がっていた。

現場をしばらく観察していると 親子連れが何組も通り、子どもたちが「作品」の上に登ったり、滑ったり、抱きついたりして遊んでいる。

24年間こんなふうに私の作品は過ごしてきたのかと思うと意外だった。

以前なら「行儀の悪い」子供たちを、制作者として許せなかっただろうが、昨日はなんだか微笑ましかった。

この場所に溶け込んで、地域住民と共存しているかのような安心感を覚えたからだと思う。

設置以来、作品の傷や破損がずいぶん心配であったけれど、子供たちの「遊具」と化した今も その表面は思いのほか良い状態に保たれていた。

このことが不思議で、またありがたいと思った。

彼らの悪意のない接し方もあってか、24年間ここに生き延びてたことを図らずも愛しく思う。

正面から見ると、遠近感が強調され、まばらに置かれたように見えるこれらの設置物は、逆方向から見るとこのように整然と並んで見える。

文化会館への行きと帰りの遠近の違和感・・・人の遠近感覚に働きかけるのがこの作品の目的であったが、今見直すと、6個の石が置かれたその間隔の度合いが気になる。

もう修正は出来ないけれど、彼らはもう勝手に一人歩きしながら、住民と うまいこと やっているようだ。

24年間彼らをずいぶん心配してきたが、なんだか幸せな気持ちになり「ありがとう」と心の中で呟いてしまった。

2020/04/01