[フィルムの行方]

 

Nikon F3OLYMPUS PEN FT とかでモノクロ写真を撮っている。

したがってフィルムが必要だ。

ずっと100フィートの長巻きを買って使ってきた。

しかし、早い時期にカメラ大国である日本国の企業「フジフィルム」がその製造を止めた。

言うまでもなく、需要と供給の関係だ。

今はデジタルの時代だから。

 

Made in Japanが消えて、外国製を買うことを余儀なくされている。

ストックがなくなりかけて、久々にネットをのぞいてみたら、なんとまたしても値上がりをしている。

この間までKentmereは1万円でおつりが来たものだったが、今日現在13100円になっている。

メーカー品 Kodak TX は32052円・・・。

どこまで高騰するのだろう。

これはロシア・ウクライナの戦争と関係があるのだろうか。

いろいろと不安定なことだ・・・。

 

危機感を感じて、3缶をポチった。

店舗では現像薬品の流通も危なくなってきている。

フィルム文化の終焉か・・・。

2022/05/30


[自分の中の他人]

 

歯の治療で麻酔を打った。

右下の唇がしびれて・・・いやしびれるというか、何も感じなくなって自分の中に他人がいるように思えた。

他人の痛みはわからない。

 

少し時間が経って、麻酔が少しましになったかと思いサンマルコでビーフカレーを食べた。

水を飲んでも、唇からだらだらと流れ出ない。

よしよし。

 

ビーフの塊をかじった時、なんか違和感のある物体も噛んだ。

柔らかい。

そう思った時はすでに遅かった、自分の下唇を噛んでいた。

血が出る。

しかし、痛くない。

他人の痛みはわからない。

 

2022/05/23


[2本足の補足]

 

 一脚というものを小ばかにしていて、カメラ趣味を始めて三十余年それには関係を持たなかった。

ところがどうでしょう、今回、購入してしまいました。

というのも、最近28mm-300mmのズームを多用することになり、望遠側での手ブレが気になっていたのです。

三脚ではかさばりすぎる、しかしきちんと撮りたいという願望の結末です。

 

自分には2本の足がある。

これにこの1本を加えて「三脚」として使うのだ。

 

あすからこれを使ってみよう。

自分の欲求に答えてくれるか確かめたいと思います。

役立って欲しい・・・。

 

2022/05/19


[黒の中にある色]

 

明治・大正時代、ピクトリアリズムの台頭により多くの印画法が試みられた。

やや特殊な例として「雑巾掛け」と呼ばれる技法がある。

雑巾がけとは、プリントした印画紙に油絵の具を塗りつけ、布で拭き取るなどして手を加えた手彩色の一種である。

その様子が雑巾をかけるようなので「雑巾がけ」という名称で呼ばれ1920-30年頃、主に日本で流行した。

もともとは印画紙上のピンホールを修正する技術として用いられたものが、いつのまにか表現技術に進化してしまったという。

 

最近この技法で写真作品を制作している。

色彩を意識して彩色するが、横浜写真のような明確さを目指すのではない。

それは塗り分けに油絵の具が適していないこともあるが、基本的にモノクロームが心地よいからだ。

当初は写真の明るい部分の色のことが気になっていたが、最近は黒い部分が面白いと思う。

 

2022/05/16


[結末のかたち]

 

まず一手を打つ。

すると相手がその一手に対応する自分の一手を打つ。

そして、今度はこちらが最も有効な一手を返す。

このようにおそらく囲碁の戦いは続くのだろう。

 

しかし、僕は囲碁を知らない。

将棋では少し遊んだことがあるけれど、同じような感覚ではないだろうか。

無駄な手はない。

すべてが「必要」で、その必要が囲碁や将棋をかたち作る。

勝負の世界にかたち作る、というような表現は似合わないが、勝負の結末はきっと無駄のないせめぎ合いが形となって残るはずだ。

 

辰野登恵子の作品を今日見てきた。

辰野の作品がこのような作品だった。

辰野は絵描きだが、絵を描いているように見えない。

おそらく囲碁のような時間を過ごしたのではなかろうか。

「身体知覚による版表現 辰野登恵子」BBプラザの展覧会のことである。

 

兵庫県立美術館では「Minimal /Conceptual」という展覧会をやっていて、これも見てきた。

会場に着くまでは、どういう勘違いかミニマルの作品ばかりを見るつもりだった。

しかし、会場はミニマルだけでなくコンセプチュアルの作品も並んでいる。

展覧会名にある通りなので、自分の思い込みの強さを笑った。

ミニマル/コンセプチュアルという展覧会だ。

そりゃあそうだろう。

 

 

カール・アンドレの作品が心地よかった。

この心地良さは、ほかの美術では味わえない。

ミニマル独自の心地よさである。

 

2022/05/15


仮縁仕様の状態で撮影
「裸眼視-7・8」1997

[1997年]

 

京都市京セラ美術館に行ってきた。

前回見る時間がとれず拝見できなかった 森村泰昌「ワタシの迷宮劇場」とコレクションルームを見るためだ。

 

「ワタシの迷宮劇場」では膨大な枚数のポラロイド写真が並んでいた。

ポラロイドの複製不可能な存在や時間の推移が劇場のように展開されていて、さすが森村泰昌だと感心した。

劇場の舞台幕を想定したのであろう円弧を描くカーテン状の布に淡々と並んでいる。

リアルタイムに拝見してきた森村作品なので、自分の過ごした時間を重ねて見ることができた。

そういう点で森村泰昌の回想録のようにも見えた。

 

コレクションルームには、1997年の拙作「裸眼視-3」「裸眼視-7・8」を展示していただいている。

この作品は「思い出のあした」という京都市美術館の企画展に出品した作品で、旧京都市美術館の壁面織布を素材として使用している。

壁面修復工事にからんで不要になったこの布を使用させていただいた。

長年使用された壁面織布は鉛筆やチョークの目印、クギ穴・サビ・汚れなどが付着していて、それをトリミングしてパネル張りしている。

つまり私自身は何も描いていない。

写真撮影でトリミングするように、ただ切り取っただけの作品だ。

この作業は写真撮影と本当によく似た構造をしていて、現在の写真作品の考え方へとつながっている。

 

当初作品のフレームは木の板で仮り縁をしていて、それが気に入らなかったことを思い出した。

25年ぶりに自作を見ることになって、そのことが不安だったが、フレームはちゃんと鉄製のものに作りかえられていた。

記憶が曖昧だったが、そういえばちゃんと自分で作りかえたことを思い出す。

自分ながら記憶力のいい加減さを思い知る。

ここに掲載した写真は、その気に入らない仮り縁がついている。

最後の完成状態を記録しておくべきだった。

2022/05/05

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京都市京セラ美術館

コレクションルーム 春季

特集 絵になる京都

2022年4月29日[金]-7月10日[日]本館南回廊1階

仮縁仕様の状態で撮影
「裸眼視-3」1997

[正方形]

 

この連休は暗室作業をしているが、トラブル続きで意気消沈する・・・。

 

正方形の写真を焼きながら、再びスクエアサイズへの愛が芽生える。

愛って・・・、こんな言い方も変だが正方形が心地よい。

 

他と横の比率が一緒ということは 横位置・縦位置 を意識しないで撮れるということだ。

撮影時にいずれか迷わないという点でもミニマルな比率だと思う。

 

以前、35ミリカメラを細工して正方形の写真を撮れるようにしたことがある。

Nikon F3の正方形バージョン、OLYMPUS FEN Fシリーズの正方形バージョンなど、ほかにも何台かのカメラを工作によって正方形に写るようにした。

 

当然ネガキャリアもそれ用のものを制作しないといけなくなって改造した。

ROBOTというカメラは最初から正方形フォーマットだが、専用のネガキャリアをつくった。

いずれも中古品からの改造だが、道具としていとおしい。

2022/05/02