静止した姿勢で眼球を動かし見える視野は、垂直方向に約125°・水平方向に約200°だそうだ。人間の視野の角度は縦よりも横の方が広いので、横長の画面が見やすいとも言われる。多くのカメラが横長のファインダーを採用しているのもこうした理由からだろう。もしかしたら縦長や正方形のファインダーは、人間工学的に抵抗感のあるかたちなのかもしれない。ともあれ、様々なアスペクト比で切り取る四角い眺めは人間の視覚ではない。それはカメラの眼であり、ファインダー越しに眺める矩形の世界である。

 絵画の場合はどうだろう。目に見える風景を画用紙にすべて描き込むことはできない。画用紙からはみ出てしまうからだ。別の紙を繋げて描き続けることはできる。はみ出す風景を上にも下にも斜めにも描き足していくのだ。どんどん繋げていくと、おそらく大きな球体の中心に自分がいて、球の内側に描かれたその風景を眺めることになるのだろう。そこで、なんだ風景を描写することは自分の位置を確かめることだったのかと気付くことになる。

 写真もそれと同じだ。したがって風景写真で何が写るのかといえば、対象と自分の位置関係だろう。こちらが少し動くと相手の様子が少し変わる。大きく動くと大きく変わるという単純なことだ。カメラで風景を記録しているつもりが、実は自分の場所を正確に写していた、ということだ。フレームの向こうの風景が私を見つめていたのである。

2022/10/21


いつもの散歩コースにあるS字カーブ。

レンズを変えたら、空に虹。

2022/10/16


アンテナのような棒が立っていて、それが円の中心に向かうように撮ってみた。

おかげで地面が傾いた。

円形写真は「中心」を意識してしまう。

2022/10/15


画像の円周で見られるこの収差が魅力で、既に持っているレンズと同じものを探していた。

先日、オークションでようやくそれを見つけ落札した。

安価なレンズなので個体差を心配したが、試写してみたら同様の調子が出るので安心する。

「安心を買う」というやつかな。

2022/10/08


 

YouTubeを見ていて、芋づる式に当時のプロレス画面に行き着いた。

力道山ザ・デストローヤーの試合だった。

懐かしい。

家にテレビがついたのは小学校四年生の時だった。

1963年はちょうどその頃で、白黒テレビのざらざらした点の集合からこの試合を見たはずだ。

YouTubeの映像は四隅が蹴られて黒くなっている。

おそらくテレビ画面を直接撮った映像と思われる。

カメラがそうであったのではなく、当時のブラウン管の事情でこう映っていた。

当時は、円形に近いこの映像に不思議感も抱かず、動く写真を必死に眺めた。

今はこの蹴られた画面のことが気になる。

 

力道山・豊登・吉村道明・芳の里・大木金太郎・グレート東郷・上田馬之助・ジャイアント馬場・アントニオ猪木、デストロイヤー・ブラッシー・カルフォーン・タイガージェットシン・シャープ兄弟・アンドレザジャイアント・ジンキニスキー・・・当時のプロレスラーの名前が思い起こされる。

昔のことは覚えているくせに、最近の人名は思い出せないのは自分自身が安定した老人域に突入したからだ。

そして昨日、アントニオ猪木が逝った。

2022/10/02

 

[Classic Photographic Printing]というポストカード集をbook cellar amusから2000年に出してもらった。

この間このカード集がオークションに出されているのを見つけて驚いた。

商品価値があるのだろうか・・・。

と思ったら、やはりずっと落札されないでそのままである。

当時研究中のガム印画を使った写真集にもなっている。

自分にとっては重要な記録集だが、他人にとってはどうでもいいものだと思う。

2022/10/02