昨日、28日から美濃加茂ミュージアムでの個展が始まった。
搬入・展示時に、十数枚用意したカラー写真を同時に展示するかどうか迷ったがやめることにした。
結局、当初の計画通り横一列・等間隔にだらだら並べることにしたら106枚並んだ。
来場者はこれら一枚一枚を順番に眺めると、きっと途中で厭きがくることになるだろう。
散歩中の風景のように、気になる風景だけを ちらっと見る・・・そういう感じの展示になったように思う。
2023/01/29
風景を愛でる 日下部一司
美濃加茂市民ミュージアム 美術工芸展示室
2023年(令和5年)1月28日(土曜日)~2月26日(日曜日)
午前9時~午後5時
月曜日休館(ただし祝日の場合は開館し、直後の平日休館
http://www.forest.minokamo.gifu.jp/tenrankai/2022/2022_09.cfm
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静止した姿勢で眼球を動かし見える視野は、垂直方向に約125°・水平方向に約200°
だそうだ。人間の視野の角度は縦よりも横の方が広いので、横長の画面が見やすいと
も言われる。多くのカメラが横長のファインダーを採用しているのもこうした理由か
らだろう。したがって縦長や正方形のファインダーは、人間工学的に抵抗感のあるか
たちなのかもしれない。ともあれ、様々なアスペクト比で切り取る四角い眺めは人間
の視覚ではない。それはカメラの眼であり、ファインダー越しに眺める矩形の世界で
ある。
画用紙に、目に見える風景をすべて描き込むことはできない。画用紙からはみ出て
しまうからだ。別の紙を繋げて描き続けることはできる。はみ出す風景を上にも下に
も斜めにも描き足していくのだ。どんどん繋げていくと、おそらく大きな球体の中心
に自分がいて、球の内側に描かれたその風景を眺めることになるのだろう。そこで、
なんだ風景を描写することは自分の目の位置を確かめることだったのかと気付くこと
になる。
写真もそれと同じだ。したがって風景写真に何が写るのかといえば、対象と自分の
位置関係だろう。こちらが少し動くと相手の様子が少し変わる。大きく動くと大きく
変わるという単純なことだ。カメラで風景を記録しているつもりが、実は自分の場所
を正確に写していた、ということだ。風景が私を見つめていたのである。
(日下部一司)
9日から始まったOギャラリーeyesの個展も2週目に入った。
先週は会場に来てくれた学生時代の友人と48年ぶりに再会して、超高速で早送りする映像の共演者になった気持ちになって面白かった。
細胞は何ヶ月で入れ替わるんだというが、そういう感じを実感する。
命の容れ物、それが肉体だ。
2023/01/16
ネット環境が整うにつれて、印刷物の扱われ方が変わってきたように思う。
さまざまな理由から展覧会情報や展評なども紙媒体での紹介が減った。
かつては複数の美術系雑誌や情報誌などで行われていたのに、今はもうない。
かろうじて唯一、新聞がその役目を負っている。
昨日の新聞(朝日新聞·夕刊)に紹介記事を載せてもらった。
小さな記事だが、いつまでたっても印刷物は魅力的だ。
ネットにはない存在感がある。
そう感じるのは私のような年代だけかもしれない。
2023/01/11
Oギャラリーeyesの唐木さんが、今回の個展の資料として僕の出品歴をまとめてくれた。
個展を数えてみたら、今回が90回目になる。
その数字に自分で驚いた。
長い間発表を続けてこられたのは、応援していただいた画廊さんのおかげである。
今さらながら感謝の気持ちを伝えたい。
90回目の個展、今日は初日である。
2023/01/09
古い腕時計をコレクションしている。
高価なものではない。
ボロばかり。
安くて気に入ったものを狙っている。
おもちゃ時計も買う。
金属ベルトが付いた時計にはその隙間に持ち主だった人の皮脂がこびりついているような気がして漂白剤液に浸したり洗剤をつけてブラシで洗う。
革ベルトは水と洗剤でまず洗ってから使う。
そうすることで本当に自分の物になった気がするのだ。
古道具なども買うことがあって、そこにも当然のことながら汚れや埃が付いている。
これは判断が分かれるところだ。
過日、ネットでタイルを貼るための道具を買った。
相当な年代物の上に、使い込んであって美しい。
埃もたまっているけれど、これは落としたくない。
届いた状態で保管している。
使うものと観賞するものとの用途の違いからだろう。
骨董品は他者を見る目で接する。
使用する道具は皮膚感覚で接する。
2023/01/06
すでにそこにあった
会話の中で「レディメイド」という言葉を発音したら、なんだか懐かしさを覚えた。そう言えば最近、この言葉を使う機会が減った。概念が定着したというか古くなったというか、そんな気がする。
「既製品」という言葉は日本語で、こちらの方はまだ普通に使えるように思う。ただ、美術用語として使うことがないから、美術でいうレディメイドとはまた違うのだ。
ここで「すでにそこにあったもの」という言い方をしてみよう。それは、建物であったり調度品であったり、道具であったり、人間や動植物であったり、大自然であったり、芸術だったり、要するにこれまでの歴史だったりする。小さくいえば自分の古い作品などもそうかももしれない。
近ごろ「風景を愛でる』というタイトルで写真作品を制作しているが、これはすでにある風景をカメラで切り取るだけのことだ。しかし、実を言うと四角い孔の開いた手帳くらいの大きさの厚紙をもって、孔の向こうの風景をのぞくだけでもいいような気持ちにもなっている。風景に近づいたり離れたりしながら、身辺を切り取って遊んでいたらそれで十分楽しい。カメラは記録機能がついた厚紙のようなものだ。
すでに風景はそこにあり、それを自分の眼がいいように眺めるだけだ。 すでにそこにあった身の回りのものに最小限に関わり、都合の良いように自分の眼が眺める仕掛け、そういう展覧会をしたいと思った。レディメイドというには気恥ずかしく、既製品というほど よそよそしくはない、そういうものたちを役者に見立て、そこで始まる舞台を見たいと思う。(日下部一司)
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日下部一司個展
[すでにそこにあった]
会期:2023年1月9日(月)-1月21日(土)
開催時間:11:00-19:00/土曜日17:00 日曜日休廊
開催場所:Oギャラリーeyes
大阪府大阪市北区西天満4-10-18石之ビル3F
TEL/FAX:06-6316-7703
主催:有限会社オーギャラリー(http://www2.osk.3web.ne.jp/~oeyes/)
企画:Oギャラリーeyes(O Gallery co.,ltd.)
2023年になった。
満70歳になる年だ。
いずれは来る、とも思ったし、もしかしたらそこまで生きていないかもしれないとも思った。
このように新年を迎えられたのは幸運だ。
1月に2つの個展をする。
こんなことは初めてだ。
良い展覧会になりますように。
2023/01/01