円形に写るカメラを使っている。
正確に言うと円形に写るレンズを使っている。
写真をあとから切り取っているのではない。
相当数のレンズを試したが、このレンズは周辺描写が最も魅力的だ。
印画すると円周部分が凹んだように感じる。
まるで盆上に咲く蓮のようで、単純に「盆花」と命名した。
同じ大きさの盆を持っていて、これと並べてをかたちをダブらせることにした。
盆花
W440×D25×H450(mm)
ラムダ銀塩プリント・アクリル板・鉄
2019
人は二つの目で対象をとらえるが、カメラの場合は一つの「点」から覗く世界を記録する。
ある意図をもって空間の中の座標を探し求めシャッターを押すと、無秩序な世界に秩序めいた関係が写る。いつもそんな風景を探している。
正方形という形は四辺が同じ長さの直線で構成されていて、その水平・垂直軸が傾くと重力に逆らう感覚を覚える。
カメラは様々なものを写しながら実は重力を写し撮っているのかもしれない。
壁を眺める
W515×D25×H515(mm)
ラムダ銀塩プリント・アクリル板・鉄
2020
2020/09/14
塀の瓦が一部欠損している。
その箇所に重なるように樹木が伸びていた。
それぞれはもともと何の関係もないが、僕の眼がこの位置に来たとき急に関係を持ってしまった。
そういう風景。
瓦の眺め
W515×D25×H390(mm)
ラムダ銀塩プリント・アクリル板・鉄
2020
2020/09/13
ネットで古い黒板を探していてこれを見つけた。
石盤(せきばん)と呼ばれる明治・大正期に使われた文房具である。
当時はこれの上に石筆(せきひつ)という蝋石で文字を書いた。
書いた文字は保存できないので、その都度消した。
つまり書き残すのではなく、記憶するための道具として使われていたのだ。
記憶装置
W224×D190×H150(mm)
石盤・鉄
2020
2020/09/13
大正15年は昭和元年。
西暦1926年で94年前だ。
4月1日といえば新学期。
「ナカムラトシエ」の名前が薄くなっているので、途中で所有者が変わったのかもしれない。
「タチノ」は地名かな。
この中身の石盤だけ拝借して展示物を作った。
素材の持つ時間が美しい。
2020/09/12
「重なる」と「重い」は両方とも同じ漢字だ。
ものが重なると重いからだろう。
「重空間」とは僕の造語で、空間が重なることを意味している。
空間が「だぶる」のである。
余談だが、「辛い(からい)」と「辛い(つらい)」も同じ漢字。
からすぎるのはつらい。
重空間
W165×D50×H34(mm)
木皿・鉄
2019
円形に写るカメラを使っている。
正確に言うと円形に写るレンズを使っている。
写真をあとから切り取っているのではない。
相当数のレンズを試したが、このレンズは周辺描写が最も魅力的だ。
印画すると円周部分が凹んだように感じる。
まるで盆上に咲く蓮のようで、単純に「盆花」と命名した。
同じ大きさの盆を持っていて、これと並べてをかたちをダブらせることにした。
盆花
W440×D25×H450(mm)
ラムダ銀塩プリント・アクリル板・鉄
2019
猫足の花台になぜか惹かれる。
猫が好きというわけではない。
単にその形の持つ愛嬌が好きなのかもしれない。
そのため、これまでにもいくつかの花台が僕の作品として犠牲になった。
これを切断するときには、心に痛みが走る。
向きを変える
W300×D200×H172(mm)
猫足花台(既製品)を加工
2020
2020/09/04