1973年に発行された雑誌「みづゑ」をめくってみる。
「発言'73-現代版画」という、当時現代版画作家として活躍していた20人の版画家の特集だ。
当時大阪芸大の教授だった泉茂先生、また現在客員教授である中林忠良先生の名前もある。
1973年といえば48年前である。
当時は「版画ブーム」の渦中であった。
本人の顔写真入りで、それぞれの作品写真と3項目のアンケートに答えた文章が記載されている。
アンケートテーマ
A
多様化し、混沌としている現代美術のなかで、現代の「版画」は複数技術の進歩やメディアの多様化などによって、極めて流動的な現象形態のひろがりと変質を見せつつあります。
このような状況にあって、あなたはなぜ「版画」という表現手段を採り入れているのですか。また「版画」の固有の意味をどのように考えていますか。
B
あなたは「版画」の複数性とオリジナルの問題をどのように考えていますか。
C
あなたは。、現代の「版画」に新たな展開の可能性があると思いますか。それはどのような方向に求められるのでしょう。
この48年間にパソコンの普及やネット環境の進歩など、さまざまな変化があった。
家庭で簡単にプリンターを使って印刷できたり、一瞬のうちに全世界の人々に情報を発信できる時代になった。
Bの「版画」の複数性とオリジナルの問題は、当時と今では質問の鮮度が落ちたように思うが、それぞれのアンケートテーマを今、自分自身に問うのも良いかもしれない。
2021/11/30
フレームに興味が湧いている。
絵画のフレームはもちろんだが、カメラのファインダーや窓など、フレーム的存在は多い。
「室内」という考え方も外と内を隔てる概念であり、その構造がフレームのようだ。
大きくいえば地球という球体も様々な生物を囲むフレームかもしれない。
作品制作とフレームについて関連付けて考えたらきっと面白いことが発見できそうな気がする。
-----------------------------------------------------------
フレーム 02frame
① 物の周囲を囲むもの。枠。縁。額縁。「眼鏡の―」
② 建造物・機械などの,骨組み・枠組み。
③ 映画・テレビ・写真で,撮影される範囲の枠取り。また,フィルムの一こま,映画・テレビの画面など。
④ ディスプレーが描き出す画像の一こま。通常,コンピューターのディスプレーは1秒間に40~70フレームを描く。
⑤ 温床。季冬「―の遠かがやきに安房の海」富安風生
⑥ ボーリングで,1ゲームを構成する各回。1ゲームは10フレームからなる。
⑦ 自転車・自動車などの車体枠。
⑧ テニス・バドミントンなどのラケットの枠。
⑨ フレーム理論でいう知識の枠組み。
2021/11/29
Carl Zeiss Ultron 1.8/50 通称「凹みウルトロン」の試写をした。
撮るものは何でもよかったが、つい花の写真になる。
最近、Adobe Lightroom Classicを使うようになったので、現像練習もしたかった。
椿を撮った。
カメラの角度で、空中に浮かぶ花のような写真になった。
2021/11/28
優先座席が空いている。
そういう時は座るようにしている。
いつも後ろめたい気持ちで座るけど、最近はその必要がないことを思いながらも、なお後ろめたい気持ちで坐る。
今日で満68歳になった。
先日、和歌山県立美術館で65歳以上無料ということでタダで入館した時、もっと年齢を自覚してもいいかな、と自分に甘えそうになった。
父が胃がんの手術したのは69歳の時だった。
同じような年齢になってしまった。
私にとってあのときの父は十分な老人だったが、そういう年齢になった。
父はもうすでにこの世に居ない。
いずれ自分も消滅するが、それはまだ実感できない。
死は実感できないものだろうから、そのこと自体は心配する必要も無いのだろう。
前向きに今日をしっかり生きたらいいな。
死ぬまで生きるのだし。
2021/11/28
昨日、またカメラを買った。
1980円だった。
RICOH XR500という。
1978年に製造されているので、43年前のカメラだ。
ペンタックスKマウントのソフトフォーカスレンズ(SMC PENTAX SOFT 1:2.2 85mm)を持っていて、これを付けるために買った。
このレンズには絞りの数字が明記されていない。
このためフルマニュアルでの撮影が難しいのだ。
理想は絞り優先のTTLカメラを・・・と思ったが、程度のよいリコーのカメラが安価で出ていたので買うことにした。
このレンズをフィルムカメラで使いたくなったのである。
これはやはり昨日見た島村逢紅の写真が影響している。
RICOH XR500の形はNikomat ELやNikon ELに似ている。
似ている、というよりまるきりコピーである。
Nikon ELは僕の最も好きなカメラだから、RICOH XR500ボディが抵抗なく受け入れられた。
シャッター速度が500分の1までしか切れない機械シャッター機種。
実にシンプルだ。
2021/11/24
昨日のことを書いておこう。
和歌山県立近代美術館で開催されている「近現代美術の精華/第2部 島村逢紅と日本の近代写真」という展覧会に行ってきた。
なんと65歳以上は入場無料だった。
今月僕は満68歳になるからこの条件は十分満たしているわけだが、この種の行政的恩恵を受けるのは初めてで記念すべき日になった・・・ような気持ちだ。
「第2部 島村逢紅と日本の近代写真」が面白かった。
なにが面白かったかといえば、展覧会の作りがよかったのが第一。
そして島村逢紅の写真がよかった。
「第1部 観山、龍子から黒川紀章まで」は、展覧会の作りが大味でまとまりがなく、展覧会企画の重み(使命)に負けた感じで もの足りなかった。
その点、第二部は、過不足なく充実している。
ピクトリアリズムの写真にはかねてより興味を持っている。
絵画のような写真は、撮影者の手技が及ばない「レンズの眼」が作り出す世界である。
シャッターを押せば写ってしまう、という写真の宿命を受け入れながら活かす、そういう「強み」が面白い。
2021/11/24
しゅっぱつ 0【出発】
(名)スル
① 目的地へ向かって出かけること。出立(しゆつたつ)。「次の訪問地へ向かって―する」「タビジニ―スル」〈和英語林集成•三版〉
② 物事の始まり。「新家庭の―を祝う」〔明治初期につくられた語〕
-----------------------------------------------------------
「出発」という文字と周辺の風景を撮った。
最寄り駅のホームから見えるこの文字をいつも眺めて電車に乗る。
「出発」とは、なんだか意気が高まる言葉だ。
この眺めを二分割構図でこれまで何枚か撮ってきた。
何枚か・・・ではなく何十回、おそらく何百回も撮影したはずだ。
飽きない風景というものがある。
モノクローム写真とカラー写真をここに並べた。
カラー写真は情報量が多すぎて「出発」感が乏しいように感じる。
2021/11/22
最初にカメラを好きになり、次に写真へと興味が移っていった。当初は写真で作品制作をするつもりはなかった。それなのに、近頃は写真を多用するようになり、振り返るとずいぶん枝葉の方向に向かっているように思う。
枝葉とは、取るに足らないつまらないことを指すのではない。むしろその逆で、枝葉末節が本筋に繋がるような積極的な意味合いを含んでいる。だからカメラが好きになってよかったと思う。
カメラを触り始めてから改めて気づいたことがある。それはカメラが四角い形で対象をとらえる道具だということだった。ファインダーを覗きながら世界を見るという非日常的な経験の積み重ねが、そんなあたりまえのことを身体を通して教えてくれた。
それまで矩形そのものにそれほど強い関心を持つことがなかったように思う。平面という概念・大きさ・色・質感など、例えばそのようなものを、与えられた四角い形の中で解釈しようとしていた。
写真や絵画はもちろん、パソコンやスマホのモニター・ノート・書籍・郵便物・箱・窓や建築物の壁面・ドアなど、現代は矩形と関わらずに生活できない。あたりまえにあるので特に気に留める必要もなかった。
四隅に直角をもつ四角いフレームを意識せず生活できる時代があったはずだ。それは、人間が道具を使い始める以前ではないかと思う。 道具を使い、直線を操るようになり矩形と言う概念が生まれたのだろう。そのことを思うと、矩形は様々な思考の原点にも思える。
そうした制度ともいえるかたち「矩形」をいま見直している。写真や絵画における矩形は、現実空間と非現実空間を仕切り内に包み込む器であり、逆に現実空間に矩形の内部から働きかけるドアのようなものでもある。その「内と外」という意識を最近大事に制作している。
また、矩形はフレームとしての役割も果たす。イメージの輪郭と言っても良いかもしれない。過不足のない情報を最大限の効果で表現するミニマルな媒体であり、興味は尽きない。
矩形をフレームだと考えるとその概念は自分の中で少しずつ変容し、写真や絵画の世界からはみ出して領域を広げる。そうすると、表現の形式は写真だけにとどまらず、色面であったり、細工したレディメイド、オブジェなど複合的な形態に化けていくのだ。(2021/11/09)
今日からギャラリー勇齋での個展が始まった。
夏に名古屋でやった個展に出したもの30点に新作20点を加えて計50点を出品している。
一列に淡々と並べる、というプランがこの「風景を愛でる」シリーズだ。
個々の作品が主張するのではなく、目の前の風景のように開かれて在る・・・そんな空間を目論んだ。
この一年はフィルムを使い「雑巾がけ」を意識して撮影した。
そのためモノクロームの眼で「風景を愛でる」癖がついている。
久々にカラーのデジタル写真を撮ろうと思うと、ちょっとモチベーションが上がりにくい。
2021/11/02
[bokeh]
事物そのものがぼけることは ない。
人間の目が、あるいはレ ンズの光学的機能がボケを生む。
写真用語としての「ボケ」は、 ピントが合っている部分以外に 生みだされるボヤけた領域、そ れを意図的に利用する表現手法 を指している。
ボケという言葉は日本で生まれ、この概念や手法は日本国外で「bokeh」と呼ばれるようになっ た。
パンフォーカスをよしとする欧米の写真にはなかった緩やか な対象把握の感覚がボケなのである。
ボケは不鮮明でありながら、 それ故に独自のリアリティを生む。
そこが可笑しい。
2021/11/01