本棚の整理をしていたら伴さんから頂戴した本が出てきた。
伴文夫さんとお知り合いになったのは信濃橋画廊だった。
おそらく1976年の信濃橋での個展からだと思う。
それ以後、僕の展覧会はたいてい見てくれた。
伴さんの個展も毎回拝見した。
1998年6月23日に伴さんから文庫本を送ってもらった事があり、本棚にあったのはその本である。
なにかの会話の中で、伴さんが自分だけのペースで話し出し(いつもそうだった)一人で合点し「じゃあ、本送るわ。」と言って、後日約束通り送ってくれた。
「哲学を知ると何が変わるか」鷲田小繭太著の文庫本だった。
『「漠展」仲々面白かったです。・・・云々』ブックカバーの裏に短い文面がしたためてある。
「漠展」とはなんなのだろう・・・、いま読み返してこの部分が腑に落ちない。
この年信濃橋画廊の5階で個展をしているので、その感想かもしれない。
おそらくその場で「哲学」の話を、伴さんは熱く語ってくれたのだと思う。
しかし、内容は覚えていない。
本も読みかけた記憶はあるが、途中で投げてしまった。
伴さんごめんなさい。
再度挑戦します。
その伴さんが8月24日に亡くなったようだ。
7月のアート大阪 会場でお見かけしたのに、挨拶出来ず・・・それが伴さんとのお別れになってしまった。
ご冥福をお祈りします。
2021/08/30
白い塗り足し。
これが気になる。
2021/08/29
タブレットで絵を描く人が増えている。
鉛筆や筆のように手軽に使えるデジタル機器やソフトが安価且つ高性能で提供されるようになったせいだ。
漫画・アニメ・コミックイラスト・ゲーム等の流行もあるだろう。
「絵を描く」ことに顕著な変化が起こっている。
タブレットによる描画には、アナログには無い いくつかの魅力がある。
1/絵の具やインクで汚れない
2/臭わない
3/作業机が要らず、どこでも作業ができる
4/レイヤーを使って表現効果のシミュレーションができる
5/イメージをコピー&ペーストで自由に組み合わせられる
6/作った作品がかさばらない
7/Web上に瞬時にアップできる
そのほかにもあると思うが、ざっとこんなところが思い浮かぶ。
と言うことは、アナログ表現はこの逆の特徴があるということになる。
1/絵の具やインクで汚れる
2/画材に臭いがある
3/作品の大きさや技法によって必要な大きさの作業場が必要
4/描き重ねたら、その部分だけ消すことが出来ない
5/同じ形が必要な場合は、トレースして使う
6/収納場所が必要で、かさばる
7/Web上にアップするには、デジタルデータを作らないといけない
決定的な違いは、できあがった作品がモノであるかデータであるかだろう。
モノには触覚があるが、データにはそれが無い。
制作する人間や、作品自体の基本部分が異なる。
表現に関する考え方も自ずと変わってくるはずだ。
若い人と接しながら、最近その違和感を感じるようになった。
2021/08/26
長い期間生きていると、僕のような小品作りでさえ作品がたまる。
それに、世間で引き合いになるような人気作家でもないので作品も売れない。
だから溜まる。
たまると場所をとる。
このあいだ1975年の作品を処分した。
処分とは、破り・切り刻み・捨てることである。
はじめて京都のギャラリー射手座で個展したときのものだ。
先輩がレンタルした画廊で出品できなくなり、ピンチヒッターとして僕にそのバトンが渡されたことがきっかけだった。
当時 大学4年生でお金もなく、新聞配達のバイトをして以前御世話になったサンケイ新聞の「おやじさん」に7万円を借りてこの展覧会に挑んだ。
準備期間は2ヶ月しかなかったが、作りためていた卒業制作を中心に発表したのだ。
展覧会は楽しかった。
自分が主役になれる一週間だったからだと思う。
見に来ていただいた高橋亨先生が美術手帖の展評欄に書いてくださり、そのことがとても嬉しかった事もある。
すぐにまた展覧会がしたいと思った。
そして次の年、大阪の信濃橋画廊で個展をした。
そのときの作品も一緒に処分した。
処分したのは先日、2021年8月19日のことだ。
46年もの間、彼らは誰の目に触れることもなく処分を待っていたかのようだ。
作品を処分した8月19日、その展評を書いてくださった高橋亨先生が亡くなった。
長い間お目にかかることがなかったが、その偶然に驚いた。
見ていただき・文章まで書いていただいた・その作品を処分したその日に先生が亡くなったのだ。
午前11時頃亡くなられたというが、その時刻はちょうど僕が作品を破いている最中だ。
奇遇だと思う。
次の日の20日、通夜に参列させていただいた。
長い間雨続きだったのに、通夜の時刻が近づくと止んだ。
式場までの徒歩のことを思うと助かった、
終わって外に出たら、雨上がりの空に虹が出ている。
高橋先生の粋な計らいのように思えた。
2021/08/22
[タイパ]
コストパフォーマンス。
最初聞いたときはなんのことか分からなかった。
のちに「コスパ」と呼ばれるようになった。
で、また新しい言葉が出来た。
「タイパ」
これは「タイムパフォーマンス」の略ですね。
どれだけ時間節約して内容が知れるか・・・そういうことを問題にしている。
だから動画は早送りにするようです。
それ、すごく分かる。
ちんたらしたムービー作品は早送りをしたくなる。
ジョンケージが4分33秒という作品を作ったことがある。
あれは4分33秒をリアルタイムで共有して初めて「分かる」作品だ。
アンディ=ウオーホルの「エンパイア」なんかは実際の時間より遅い時間で上映された。
こういうのを「タイパが悪い作品」というのだろう。
だからといって、3倍速で見たらああした「芸術」の根幹に触れることが出来るのだろうか。
あらすじを知ることと味わうことは別だから・・・と老人組は思うに違いない。
僕は半分老人、半分タイパ人間である。
「初めまして松尾です」のアニメーションは最初から早送りである。
あれをさらに早送りで見る人はいるのだろうか。
僕はあれをゆっくり「遅送り」で見たい。
いずれにしてもこういう社会現象は、先ずは若者から始まる。
美術はどうなんだろう。
若者は今何を考えているのか。
若者は美術をどのように解釈しようとしているのか。
その辺の情報が薄い。
タイパでしか味わえない世界を彼らは求めているような気もする。
それは、ゲームやスマホで訓練した時間感覚を持ってしか理解できな新領域かもしれない。
2021/08/19
俳優の丹波哲郎が富士山頂から大声を出し、その声がどこまで届くか実験をした。なんと青森県八戸市まで届いたそうだ。ものすごい声量だ。その丹波哲郎もこの世にいない。
録音テープが残っていて、川崎徹が著書「カエルの宿」で紹介している。88ページ「ゲボゲボガベガベホガゲべおっぺし」に記載してある。
2021/08/18
川崎徹著「カエルの宿」をネットオークションで買った。残念なことに以前一度購入したものだった。つまり同じ本を2回買ったということだ。
そのきっかけは、赤瀬川原平の「紙がみの横顔」を同じくネットで買ったことに始まる。この本の中で彼は「カエルの宿」をトマソンと絡めながら絶賛していた。赤瀬川原平が褒めるこの本を一度読んでみたいと思い、幸運にもヤフオクで見つけ破格値で手に入れたのだ。
そこで、思いだしたことがある。赤瀬川原平著「紙がみの横顔」も、実はすでに読んだことがある事だ。そしてそのときも同じように川崎徹の「カエルの宿」を購入した。つまり、今回は同じ本を二冊それぞれ購入したことに気づいたのである。おまけに「カエルの宿」は処分し、手元にないことを思い出した。これには愕然とした。
赤瀬川原平「紙がみの横顔」は、1992年に出版されている。1992年といえば今から29年前で、当時熱烈な赤瀬川ファンだった僕は、新刊が出ると同時に嬉々として購入したと思う。本棚の奥から見つけた一冊目の「紙がみの横顔」は駸々堂のカバーが付いた状態だった。表紙が見えない。そのため表紙デザインの記憶が薄い。今回表紙の写真をネットで見たら未購読の本ではないかと勘違いをしたのだと思う。そう思いたい。
川崎徹「カエルの宿」は、赤瀬川さんが褒める意味が分からないまま興味を失い、不要の書籍として処分してしまった。それがまた手元にやってきて、しつこく「読んでくれ」と言っている。そう思いたい。
赤瀬川ファンを自称する僕は、この「カエルの宿」問題について解決しておかないといけない。たぶん。 そうしないと、いつまでも「カエルの宿」につきまとわれることになりそうだ。
2021/08/15
円形の写真が撮りたくなって、久しぶりに円撮カメラを持ち出した。
カメラや、レンズや、デジタルや、フィルムや、アスペクト比の違いや・・・そういう選択がいろいろあって 残りの人生、時間が足りない。
外に出かける時間も欲しい。
円周が欠けた状態を「病円」【註】というようだ.
「病円写真」も撮りたい写真の一つだ。
ゴーストが45度くらいに入って壁面の孔に繋がっている。
被写体と同時にレンズの絞りが写った。
【註】
ブルーノ・ムナーリ かたちの不思議「円形」平凡社 阿部雅世 訳
「円周が、ほんのわずかに切れている円のことを、完全性を欠いた円「病円」とよびます。
円周についた小さな傷が、円の持つ永遠性を損なってしまうからです。
この「病円」が生む様々な問題は、円の不思議を解明するための重要な糸口でもあります。」(抜粋)
2021/08/04
7月31日までの名古屋での個展を無事終えました。
今回は自作の鉄製フレームに入れた作品を30点展示しました。
あまり広くはない画廊空間にぎゅうぎゅう詰めの展示でしたが、この様子に少し興味を持ってきました。
50点くらい等間隔に並んだ展示をいつかしてみたいと思っています。
名古屋市在住の井上昇治氏のWebサイトOutermostNAGOYA(https://www.outermosterm.com/kusakabe-kazushi2021/)に展覧会のことをとりあげていただきました。
井上氏にはお目にかかることができず、作品や制作の詳細をお話しできない状態でしたが、そんな状態でも紹介文を書いていただき感謝します。
今回の写真は、バライタ紙にプリントした白黒写真に油絵の具を塗りつける「雑巾がけ」と呼ばれる写真の調色技法を使っています。
雑巾がけ・・・もともとは写真の修正技術として用いられたものが、いつのまにか表現技術に進化してしまったようです。
布きれで写真表面をこする様子がまるで雑巾がけのようなので「雑巾がけ」という名前がついたそうです。
ゴミの入った下手な印画をきれいに修正する行為を「雑巾がけ」と自嘲的に呼んだのかもしれません。
この技法は1920-30年頃、主に日本で流行しました。
フィルムでの撮影が再度楽しくなってきています。
デジタルかフィルムか・・・リュックに入れるカメラに悩む日々です。
2021/08/01