[フィルム撮影のこと]
気に入った場所は息を止めながらフレーミングする。
念のために、と思って何枚もシャッターを切るのだ。
しかし、そうやって選んだ写真を実際にプリントしてみると、案外つまらなかったりするものだ。
何気なしに「いちおう撮っておこうか」というような軽い気持ちで、たった一枚シャッターを切った写真が良い写真だったりするのは腑に落ちない。
デジタルと違ってフィルム撮影ではできる限り無駄なシャッターを切りたくない。
だからいつも、これは撮るべきかそうでないか ファインダーをのぞきながら考える。
考えた末、撮らないことも多い。
そうやってあきらめた風景の中にいい写真があったかもしれない。
フィルム撮影ではそんな後悔に似たものが残る。
2022/09/21
[45年]
「海を越える版画」という展覧会が催される。
大阪芸術大学博物館の主催だ。
https://www.osaka-geidai.ac.jp/whatsnew/museum_umiwokoeru
受賞作品ではないが、大学の所蔵作品ということで 古い拙作も ついでに展示してもらうことになったようだ。「PROTRACT-13」「PROTRACT-15」という2点のシルクスクリーンによる版画作品(1977年作)だ。
もう45年も前の作品で、こんな時間の経過が信じられない。
タイトルの和訳について聞かれ、古い記憶をたどる。
「PROTRACT」・・・分度器のことをPROTRACTERというので、おそらくその辺からの発想だったように思う。
考えた末「作図する」という日本語タイトルにした。
いま眺めると、頭でっかちなカチカチの作品で窮屈だ。
懐かしくもあり、恥ずかしくもある。
2022/09/20
[色面]
ミクロの世界をのぞいたら、黄色い粒が並んでいるのだろう。
黄色い色はそういう粒が作る平面だ。
稲穂の黄色も遠くで見たら単なる黄色い色面だった。
2022/09/20
[重力が崩れる]
ノーファインダー撮影をしてみた。
ブレ・アレ・ボケの60・70年代に流行った「ノーファインダー」
それを広角の円形ファインダーでやってみる。
上下の感覚、あるいは重力の感覚が崩れて、意外な写り方をした。
正円はタテ・ヨコという上下感覚を最初から持たない形だからだろう。
2022/09/12
[円形]
最近また円形写真を撮るようになった。
このためのレンズを物色しネットで購入している。
これまで何本ものレンズを試写してきたが、近ごろ注意してる点は円周付近での像の写り方である。
ぼけ方、収差の種類のようなことだ。
最も気に入っているCOSMICAのレンズがあって多用する。
保険のためにもう一本同じレンズを持っておきたい願望があって、それを探している。
一昨日届いた新しいレンズでこの写真を撮った。
周辺がオレンジ色に写る。
もちろん光線の状態が原因でもあるが、全体のこの傾向がある。
また周辺に近づくに従い激しく解像度が落ちる。
まあ、これも味わいで、撮るものによって活きるレンズだろう。
2022/09/11
[サイネンショー]
松井利夫さんと小山真有さんが始めたプロジェクト「サイネンショー」が10周年を迎えるという。
不要になった陶器をたくさんの人から提供してもらい、それを「再燃焼」するプロジェクトだ。
お二人とは もうずいぶん長いおつきあいになるが、いつもふわふわと自由でありながら方向性をしっかり定めておられる。
不思議で魅力的なユニットだ。
graf porch(大阪)で昨日から展覧会「サイネンショー」が始まったので拝見してきた。
https://www.graf-d3.com/news/sainenshow/
窓の多い明るい会場空間が作品の存在感を際立たせている。
もともと「要らない食器」たちが、再燃焼によって新たな居場所を見つけている。
要らない食器といってもさまざまで、100円均一並の食器から古伊万里、九谷もあったようだ。
それらが等価に再燃焼された。
焼成は思い通りにいかないもので、思い掛けない結果となって現れるようだ。
単なる陶器の屑になることもあれば、表現を仕掛けてくる鋭いヤツにもなる。
人間の意思やアイデアを超えるものが突然現れるのだ。
そこは陶芸の醍醐味でもあるが、「サイネンショー」はやや屈折した方法を採っている。
屈折というか、素直にというか、そこにある既にあったものを組み合わせて焼くだけだ。
「すでにそこにあった」とは、実は来年1月に計画しているOギャラリーeyesでの僕の個展のタイトルだ。
そういう興味の類似性が重なって、このユニットの活動を面白いと思うのだろう。
もっとも「サイネンショー」は環境問題や・経済やら・生活やら・ものを作ることやら、いろいろなことを意識しながらの活動だけれど、素材の扱い方・・・既にあるものから出発する姿勢に共感している。
展覧会に併せて記録集が刊行された。
いろいろな方々がこの活動について寄稿したり対話をしている。
僕はサイネンショー作品の撮影をお手伝いさせてもらった。
半分レンズ遊びのようなノリで、ぼやぼやの輪郭のはっきりしない写真を撮った。
依頼され拙い小文まで書かせてもらったけれど、どちらもちょっと的外れな気がしている。
ごめんなさい。
2022/09/04
[再植]
抜いた歯をもう一度もとの場所に戻すことができると聞いて驚いた。
それどころか、ほかの場所への移動も可能らしい。
そして今、自分もその治療法を行っている。
知らなかったな・・・。
半信半疑だ。
「再植」というらしい。
主に歯根の損傷等の治療方法のようで、僕の場合は歯恨先付近でいつも炎症を起こしていた。
神経も抜いて根っこだけしか残っていないような歯だったので抜くしかないと思っていたが、この再植という方法を施術してもらうことになった。
インプラントとは違い、保険が効くということなので、ダメでもともとという感じだ。
ただ、3ヶ月くらい歯を固定して過ごすことになる。
歯茎に糸を通しそれで歯を押さえるように結ぶ。
なんだかロープ掛けのようだ。
そのロープが治療後すぐ外れた。
普通に考えて、歯茎に縛った糸が安定するはずがない。
まあ、そういう治療法がすでに確立されているわけだから、おそらく糸は気休めのようなものであろう。
糸期間が10日。
あとはワイヤーで2/3ヶ月固定する。
さて、どうなることか・・・。
2022/09/01
[有功画面]
初期のブラウン管テレビは、角が丸く柔らかい形をしていた。
それはブラウン管の技術的な限界がつくり出す形であって、本当はしっかりした矩形で映像を表現したかったのに違いない。
当時はこの「まるしかくい」形の中の動く写真を見ていた。
だから、この形についての違和感もなかった。
それが技術的な進歩で この形は完全な矩形へと変化して今日に至っている。
直線で囲まれた四角い映像は、ふくらんだ曲線部分を削り取り有効画面を小さくしたようにも思える。
レンズにはイメージサークルというものがあって、これは円形をしている。
つまり、本来レンズの映す映像の形は円形なのである。
その円形を四角く切り取って「写真」ができている。
四角い形はいろいろ便利なので矩形が氾濫するようになったが、レンズが作る映像は本来丸いのだ。
そういう意味でブラウン管テレビは面積的により多くの情報量を持っていたのかもしれない。
2022/09/01