相手が私を見ている。
ファインダーを覗いて対象を見ているつもりが、実は被写体から見つめられているのだ。
カメラの中の四角い窓は、自分を凝視する視線に気付く仕掛けでもある。
シャッターを押すことで、その瞬間を彼らの側に立って記録することになるのだろう。
カメラの中の四角いスクリーン、それを境とした「あちら側」と「こちら側」が緊張関係を保ちながら写しとられる。
写真はこのように立体的な構造をしている。
2023/11/25
作家というのは、いつも時代の空気を吸いながら制作をするものだ。
その空気を過敏に感じると、前衛芸術になる。
単なる敏感では過敏が分からず、したがって前衛もわからない。
いつも尖った前衛でありたいと思った。
しかし、過敏というのは誰にでもある能力ではない。
ということを、この歳になってわかったように思う。
生活を身軽にするために、これまでの作品を整理している。
ずいぶん処分もした。
でも、駄作の中には偶にどうしても捨てられないものがある。
ああ、そうやった・・・と、当時発見した大事なことを思い出すからだ。
折り曲げた紙片を鉛筆で真っ黒に描きこんだ作品が出てきた。
かつて、そんなものを何枚も作った事がある。
ほとんど捨てたが、気になるものが二三枚残った。
この頃の作品を見ると、福岡道雄さんを思い出す。
最初の頃に作った、安っぽいスチロール板に鉛筆だけで描いた作品を福岡さんに購入して頂いたことがあるからだ。
その作品がどんなものだったか・・・ドローイングの詳細を思い出せない。
濃い鉛筆で筆圧が残るように紙片の形を塗り潰したものだった。
20代の頃で、とても嬉しかった。
後年、娘さんの彩子さんから「小さい頃から玄関に飾ってあった作品を見て大人になったが、あれは日下部さんの作品だったんですね」と言われた。
この言葉も本当に嬉しかった。
福岡さんには随分お世話になった。
足元にも及ばなかったが、影響も少なからず受けている。
その福岡さんが亡くなったそうだ。
昨日、たまたま見た知人のフェイスブックで知った。
告別式も行わないという。
いかにも福岡さんらしい。
最期まで尖っていた。
最後にお目にかかったのが2017年の国立国際美術館での個展で図録にサインをしてもらったときだ。
作品を見ていただいたのは2019年に空櫁(奈良市)での、福岡彩子さんとの二人展「ふくよかな視点」が最後だった。
あいにくその時はお目にかかれず、今思っても残念でしかたがない。
彩子さんには「近いうちに見舞いに行きたいです」などと言っていたのに・・・いい加減なことですみません。
残念です。
2023/11/18
11月に入ったばかりなのに、もう来年の手帳が売り出されていた。
で、買った。
十数年間この会社のこの手帳を購入している。
定年退職で辞めた先輩が、手帳から開放された・・・と言っていたが、自分の場合はどうなのだろう。
未知の世界だな。
今日は伊丹市民ミュージアムに牛腸茂男の写真展を観に行ってきた。
作品と一緒に彼の遺品のカメラや手帳も展示されていたが、細密で几帳面な書き込みに感心した。
細い線の小さな文字だ。
デザイナー志望だったという彼は、ロットリングの0.2mmを使っていたのかもしれない。
それに比べたら自分の手帳は粗雑な文字でいい加減なものだ。
来年は書く文字も少なくなるのには違いないから、丁寧に書き込みたいと思う。
それにしてもロットリングは過去の製図器具となった。
「ゆーもあらいんのロットリング」というキャッチフレーズが懐かしい。
2023/11/08
ボールを投げる。
2023/11/08
名倉砥石というものを知ったのは、私69歳の夏でございます。
つまり、刃物研ぎが趣味になったつい最近、ということです。
それ以前ならこの砥石「専賣特許・TRADE MARK・キング合成砥」を買うことは無かっただろう。
田舎の金物屋で見つけた。
粘土を固めたようなパサパサの砥石がひとつ、箱にも入らず中身だけ転がっていた。
テープの跡まで付いてぞんざいな扱いだ。
「専賣・・・」という文字が示すように、相当古くからこの店に捨てられていたのだろう。
値段を聞いたら500円だという。
即買いした。
水に浸けたら溶けてしまいそうな砥石。
使ってみたら粗目の名倉砥石だった。
減りも早い。
博物館クラスの砥石のように思え、なんだか使うのがもったいない。
2023/11/06
谷崎潤一郎の「痴人の愛」をもうすぐ読み終える。
読みながらヘドバ と ダビデが日本語で歌った「ナオミの夢」を思い出した。
高校生時代に聴いた曲なので懐かしく思いYouTubeで聞いてみたら、歌詞がまるで「痴人の愛」だった。
ヘドバ と ダビデはイスラエルの男女二人組の歌手である。
また「ナオミ」はユダヤ教徒とキリスト教徒の女性によくある名前のようで、「痴人の愛」の「ナオミ」とは当然ながら関係は無い。
2023/11/05
刃物研ぎから工作へと興味が移る。
古い包丁の刃だけをネットで格安に購入し柄をつけた。
素材は 先が折れて使えなくなったスコップの柄を再利用することにした。
随分古いもので表面がカサカサに風化していたけれど、そのぶん中身はよく枯れて狂いも少ないと判断した。
おそらく樫の木だと思う。
握り部分は直線状の角ばったものにした。
修理や手直しをするのが楽しい。
2023/11/01