昨日は吉野に撮影に行ってきた。
9月も半ばとなり、真夏の日光が少し弱まったのではないかと期待していたが、相変わらず厳しかった。
人の住んでいる(いた)生活感のある空気が好きなので、都会ではなく田舎へと足が向く。
どこの田舎町も人が居ない。
家の中で誰かが住んでいそうだが、静かだ。
恐らくどの家も老人が独居しているのではなかろうか。
明らかに無人の家もある。
本当に日本の未来はどうなっていくんだろう。
撮影に行くと、いつも暗い気持ちになる。
この写真も空き家の片隅。
こんなものを面白がって撮るが、未来を憂う気持ちを「表現」しているのではない。
銀行のカレンダー的な、日本の美を追求する写真でもない。
そういう感覚とは無関係に撮るので、人様の興味は惹かないだろう。
2024/09/18
円形写真を4つに分割してみる。
分解すると次のようなパーツに別れる。
2024/09/16
丸い写真を撮るときは「中心」が気になる。
中心を押さえたら、どのような風景も円形の中に収めることができるように思う。
円の中心に「現在地」を撮った。
そこに居た記録。
看板を見つけたら撮ってしまう。
2024/09/15
この夏、日中に撮影に出て 危うく熱中症で倒れそうになった。
怖くなって、しばらく外に出られなかったので、わずかに気温が下がると外出したくなる。
カメラを持って歩いたら時々の風景に出会う。
「作品制作」と言うが、僕の場合は風景と出会うことだ。
「出会い」だなんて、まるで李禹煥じゃないか・・・。
2024/09/11
ものをふたつ並べて、相似形や対(つい)にする、そういう手法を好んでやってきた。
以前作った「Double」と題する三つ折りの簡単な印刷物もそうだ。
畳んだ印刷物を広げていくと、2枚づつの写真が眺められる仕組みになっている。
その写真集を2集作ってから数年経つ。
来春、奈良で個展をするが、この展覧会は円形写真を一列に並べようと思っていて、同時にA1サイズの折り畳み式写真集を作る予定だ。
シンプルにたたむ体裁にしたいが、そうするとどうしても折り畳んだ一ページに写真6枚という構成になりそうただ。
円形を6枚並べると、それぞれの写真が干渉しあう。
その干渉を上手く活かすやり方を見つけようとしていて、ちょっとしたパズルの気分だ
2024/09/10
リー・フリドランダーのセルフポートレート写真集を持っている。
自分の影を配した写真を多く集めていて、一時興味深く眺めたことがある。
中での秀作はこの写真だと思う。
前を歩く女性の後ろ姿に自分の影が映っている。
汗や血や息づかいや・・・そういうものが写真に感じられる。
まねをして自分の影を撮って遊ぶことがあるが、いつも体温のない写真にしようとする。
おそらく肉体や、その「水分」を撮る気がしないのだ。
実は人間に興味がないのかもしれない。
2024/09/09
新聞紙を売っている。
「新聞」ではなくて、文字が印刷されていない「無地新聞紙」
見慣れた新聞サイズに畳んである。
価格は2695円。
高いのか・・・安いのか・・・。
小学校の大掃除で、新聞紙を水で濡らしガラスを拭いた。
汚れがよく落ちて洗剤要らずだった。
印刷インクの油分が汚れ落としに効果があるのだ。
最近はノミやカンナの刃を研ぐ。
庖丁も研ぐ。
研いだ刃物は新聞紙で包んでおくと錆びない。
これも印刷インクの油分が働いている。
で、油分の無い新聞用紙。
読むべき情報も油分もないものが、僕をなぜか誘惑する。
2024/09/04
円形じゃないとだめだという写真を撮りたい。。
「丸く切り取った」というのではなく、最初から円い映像が撮りたい
2024/09/01