福岡道雄さんが「つくらない彫刻家」になったのは2005年、彼が69歳の時だ。
2023年11月15日、87歳で亡くなるまでずっと「つくらない彫刻家」だった。
ただ、2012年に2週間だけ制作し「つぶ」を作ったことがある。
この最後の作品が極小作品であることが自分にはとても興味深い。
つくらない彫刻家宣言の時「ああ、もう作らなくていい領域に福岡さんは行ったんだ」と思った。
つくらないということは創造的な世界から遠のくことではない。
作らなくてももう大丈夫、これからはもう一人でやっていける、というような到達点を自分で見つけることだ。
ここにたどり着くために作家はものを作るのだと、僕は常々思う。
69歳で福岡さんはここに到達した。
僕は70歳になったが、まだまだそこには至れない。
福岡さんと僕とでは、作品の質・量・スケールがまったく違うから無理もない。
凡人は、いつまでも作ることに縛られながら時間を過ごすことになるのだ。
自分が写真を始めたのは、作ることから遠のくためだった。
レディメイドを乱用するのもそのせいである。
目標は見えているがその距離感がつかめない。
2024/06/26
カッターナイフだと思う。
これまで見たことがない物品を古道具市で購入した。
武骨なフォルムで重い。
「YOROZUYA 萬 AY」の刻印がある。
こいつは何者なのだろう・・・。
画像検索などを試みたが、ヒットしなかった。
正体不明だ。
裏面は7ヶ所のねじ止め。
表面はカッター刃を占める調節ねじがついている。
ねじを締めると刃がぐらつかず、しっかり固定される。
OLFAのカッター刃が付いていたので、汎用性はあるようだ。
アルミ合金仕様だと思う。
シンプルというか個性的というか・・・。
使いやすさはまだこれから試すことになる。
2024/06/23
朝市で角面取り鉋を買った。
既に一台持っていたけれど、イスカ仕込みであったことと、なんといっても超破格値だったので迷わず購入したのだ。
売っていた店主に岐阜訛りがあり、その言葉を懐かしく思い話しかけたら、彼は気の毒にもこの一件で半額にしてくれたのだ。
同郷人はそんなことで連帯感を持つ。
自分の生まれた地方の言葉は、今聞いてもすぐ解る。
訛りというのは面白いと思う。
イスカ仕込みの角面取り鉋は、見たことが無かった。
存在も知らなかったが、目の当たりにして釘付けになったのだ。
刃を研いでみたら非常に良い状態で有り難い。
2024/06/22
驢馬という漢字が読めなかった。
読めなかったのだから、書くこともできない。
しかし、絶対以前に出会ったことはあるはずだ。
でもロバは脳の外へ旅に出かけて居なかった、ということだ。
びっくりドンキーだな。
ろば 1【驢馬】
奇蹄目ウマ科の哺乳類。肩高1メートル 内外で,耳が長く,尾はウシに似る。原種はアフリカノロバで,古代エジプトですでに家畜化されていた。体は小さいが耐久力があり,粗食に耐え,少量の水で生きられる。アフリカ・ヨーロッパ南部・中東・中国・南米などで多数飼われる。ウサギウマ。ドンキー。
2024/06/21
恐らく同じ看板だったものが経年劣化でこうなった。
環境によって変化が生じる。
10年後にまた見たいと思う。
そのころの僕はどうなっているのだろう。
2024/06/21
自転車歩行者専用道路は、自転車及び歩行者の交通のために設けられる独立した道路をいう。
このゆらゆらした人間のフォルムが、定規とコンパスで描かれた自転車とのコントラストを高めている。
もともと独立したピクトグラムなのに、無理やりくっつけることによってこのデザインが生まれた。
この無理矢理感を強調するかのような出来事が路上で起こっていて、興味深く鑑賞する。
正方形に切り取ると「表現」という誤解が生じる。
2024/06/19
この場所をよく通る。
三角コーンが置かれていて、ますますいい感じの位置関係だ。
2024/06/14
もののけ 【物の怪・物の気】
人にたたりをするといわれる,死霊・生き霊。変化(へんげ)。妖怪。「―に取りつかれる」
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確かに「もののけ京都」だった。
京都の もののけ をイメージしてアトラクション風に会場の内外を構成していた。
村上隆の巨大金ぴか像を見たあとで平安神宮の鳥居をみたら、ああ、こういう空気に着眼したんだなと思う。
大きな鳥居があそこにできたときも、巨大金ぴかと同じような見せ物感を皆が感じた事だろう。
美術館からの帰り、三条大橋のたもとで「作品はご自由にお持ち帰り下さい。」という路上匿名展示をみた。
これは持ち帰ることができる程度に小さい作品で、京セラ美術館の華やかなビジネス臭とは違い、貧相で消極的だ。
ゲリラ的に路上で堂々と展示をするという点では積極的な自己主張を感じないわけでもない。
2024/06/13
作品名を 裸眼視-25 と名付けた。
1997年からずっと気になっていたが、これでこのシリーズの仕事はすべて終わった。
サイズを決め、その矩形でこの布を切り取る・・・そういう写真撮影のような作り方をしてきたのだ。
「被写体」をすっかり消耗してしまったので、もうこれを「撮る」ことはできない。
2024/06/10
壁面を這ったツタ植物の痕跡。
表現行為とは関係のないルールで生まれる図について興味が尽きない。
2024/06/07
古びた布を持っている。
これを使って最初に制作をしたのが1997年だった。
その時点で相当古びたものだったけれど、あれから27年経った今ではさすがにもうぼろぼろで、ちょっと力を入れて引っ張ると破れてしまう。
この布には思い入れがあって、捨てれずにこれまで保管してきた。
作品制作に使う事は もうないのではないかと思っていたが、手の施しようがないほど劣化してしまう前に、使える部分を残しておこうと思い立った。
限られた材料資源の利用なので、この時期に一気に使ってしまおうと思う。
そんな訳で、今日一点の作品ができた。
「裸眼視-24」である。
作品保護のために前回はアクリル絵の具の無光沢メジュームを使っていたが、今回は膠を表面に塗った。
これがいい感じで、なぜもっと早く気付かなかったのかと後悔する。
何事もいろいろ試行錯誤の上にベストな方法が生まれるものだ。
2024/06/05
川の中へ入る
事禁ず
嚴禁
水利組合
という看板があった。
強調するために筆で赤い丸印が書かれたように見受けられる。
恐らく、最初は平置きして文字を書き、現場で取り付けてからこの文言が目立たないと思い、立面に赤いペンキを用いたのだろう。
垂れている。
赤い色が垂れると怖い。
「嚴禁」と言う手書きの旧字もそれを助長する。
旧字は何故恐いいのだろう。
文字の癖にも原因があるかな。
習字の見本のような字ならこうはならないように思う。
2024/06/04
数回・・・漠然とした言葉だと思う。
自分が小さい頃、数回とは5・6回のことだと教わった。
しかし、最近は2・3回だと考える人が多い。
数回の数が減ってきている。
少子化もあって日本の若者人口は激減しているそうだ。
人間は自分の身体の大きさから他者の大きさを判断するように、少ない人口になると数の概念も変わるのかもしれない。
目撃者から「犯人は数人でした」と報告があったとき、ムカシの刑事は「5・6人か!」と思うし、若い刑事は「2・3人だな!」と理解するはずだ。
違うかな・・・。
医者から軟膏を処方され、そこに一日数回塗るように指示があった。
僕は「1日5・6回塗るんだな」と理解した。
でも本当は2・3回でいいのかもしれない。
塗りすぎはかえって症状を悪化させることもあるのだから、ここははっきり「1日3回」とか「1日6回」とか記載して欲しい。
違うかな・・・。
そこでネットでググってみたら数回とは「2、3回から 5、6回程度の回数」と書かれてあった。
いずれも正解だったのか。
なんと、2回から6回程度をひとまとめで数回というようだ。
正解自体が曖昧だ。
この曖昧さこそが数回の正体なのだ。
つまり、処方された軟膏は、2回塗っても、3回塗っても、4回塗っても、5回塗っても、6回塗っても大丈夫っていうことだ。
軟膏を塗る回数を1日2回にしたら、3倍もの長期間使うことができる。
せこい話だ・・・。
しかし、効き目はどうなんだろう・・・。
6回塗ったらよく効いて、それだけ早く治るのだろうか。
ああ、愚問だな。
2024/06/04
ジャンク品のカメラを買った。
Fuji Kogaku Lyra Fuji-ko Terionar 75mm F4.5
1939年前後発売のカメラだ。
今から85年ほど前・・・と言うことは昭和14年だな。
第2次世界大戦が勃発した年。
当時は相当高価な贅沢品だったことだろう。
500円という価格が、またしても衝動買いに誘う。
レンズはきれいな状態だったので、取り外してM42マウントに改造した。
改造といっても、M42カメラのボディキャップに穴を開け、ただ取り付けるだけの簡単な工作なんですが・・・。
そして、試写をした。
その目的だけでシャッターを切るのが面白い。
レンズ遊びという無目的。
無目的という目的。
2024/06/01