等間隔であることとか、水平・垂直とか、黄金比とか、バランスとか・・・まあ、そういう定規で引いた線のような感覚を、意識的にほんの少しだけ崩すことがちょっとおもしろいと思ってきた。
2024/04/30
砥石を木台に埋め込み、更に接着することが、砥石にとって良いことなのかそうでないのかわからない。
長く使っていたら当然砥石は薄くなって、下手をすると割れてしまいそうになるだろう。
その対策として、あらかじめ砥石台を取り付けて使うことにしている。
そうでなくともおっちょこちょいの僕は、その辺に当てて欠けさせたり、落下させたりしそうなので、その予防でもある。
しかし、木台の反りが妙な力を砥石に与えてしまい、砥石に亀裂が入ったりしないかそんな心配もする。
どれだけ砥石に恋しているんだろう。
先日手に入れた仕上げ用の天然砥石(京都東山産だという)に台をつけた。
真っ黒い色をして、硬い。
これが割れるくらい薄くなるにはあと数十年は絶対必要だろう。
調理人でもない自分がこのペースで使うのだから、もしかしたら100年、200年、いや300年以上はかかるかもしれない。
自分の寿命を考えたら、今の心配が無駄にも思える。
で、使用した木材は40年ほど前、当時の勤務先近くのスーパーがリフォームしたとき、その廃材として現場の方から頂戴したものだ。
ラワンの大きな厚い板で、よく枯れている。
こんな立派なラワン材もその頃はどこでも手に入る木材だったが、今はホームセンターでも売っていない。
当時は安物の木材だが、今となったら貴重だ。
クジラの「おばけ」みたいなものかな。
何十年か、スーパーの構造物として活躍し、僕の手元に渡って40年なら、相当古いものだ。
木が育ち・伐採され・製材され・輸入され・・・・そういう時間の流れを思うと、おそらく100年以上前の産物であることに違いない。
それを切ってこんな事に使った。
砥石に至っては、100年単位の話ではなく何億年もの歴史を持つものなのだろう。
そんな素材と自分の人生の一瞬が、瞬きよりも短く関わったことを思うと、奇跡的な出会いだと思わずには居れない。
2024/04/29
徘徊していて見つけた、階段状になった賃貸駐車場。
坂道の脇に作られていた。
斜面に駐車場、この発想はなかったな。
斬新だ。
立体駐車場を初めてみた時も驚いたものだ。
それよりはこちらの方が心理的な安心感はある。
地面に足がつくって大事やな。
2024/04/28
写真徘徊で日帰りができる程度の田舎町に出かけると、どこも人間が少ないことに気付く。
出歩いている人がいない。
商店街は多くの店がシャッターを降ろし、数件の店だけが細々と営業をしていたりして、日本の将来はどうなるんだろう、と不安がよぎる。
建物はあるが人がいない、というのは怖い風景だ。
ムカシは元気に商売をしていたのであろうこの店も人だけがいなくなったらしい。
鉢植えの植物はそのまま残ったが、水が涸れてしまった。
片づけた訳でもなく、ある日突然住人が居なくなったのだ。
その空気が怖い。
精気を失った亡霊のような生活臭だけが、まだここにあるからだろう。
2024/04/27
「家庭大工 道具の使い方 道具-こんなとき、どう使うか 戸張公之助」(昭和58年に発行)を改めて拾い読みし始めた。
昭和58年といえば1983年、今から41年前。
初めて鉋を買ったとき、その手入れの仕方を勉強するために買った本だ。
非常に丁寧に書かれていて参考になる。
新品の鉋をおろすとき、植物性油を染み込ませ 台に狂いが少なくなるような方法が図示してあったりもする。
このように油を染み込ませた台を「油台」というようだ。
昨日、早速これを試みて悦に入っていたら、『鉋は、「油台」にしない方がよい』というブログを見つけた。
逆にそれを行う人もいる。
油の種類もいろいろだ。
何対何の分量で、あの油とこの油を調合して、と言うような記事もある。
健康のためにやっていたことが、実は無意味だったり、逆に体に良くないことだと言われるようになる・・・なんていうこともよくあるように、この世界でも賛否両論が渦巻いている。
もともと「職人技」の世界なので、経験の違いが価値観や考えの違いになってくる。
面白いな。
2024/04/26
2025年 大阪関西万博のポスターが貼られている。
早い時期から告知を行っているので、陽の当たる場所では既に退色が進んでいた。
印刷物の退色は赤い色から始まる。
これはいろいろ町中の掲示物を観察していてわかったことだ。
「ミャクミャク」の赤色が飛んでしまって新たな青いキャラクターになっている。
案外これがいい感じで、ワシはこっちの方が好きになってしまったわぃ。
2024/04/25
家庭でできたゴミを、出勤時に駅のゴミ箱に捨てる人がいるということだ。
駅としては、余計な手間と経費がかかって困るのだろう。
どこの駅でもよくある話のようで、こういった張り紙を見かける。
「家庭用ゴミ」という表記が目に留まった。
「家庭ゴミ」はわかるが「家庭用」のゴミというのはどのようなものだろう。
ひとさまの単なる間違いに目くじらを立てるようなことではないけど。
食べることができる、という内容を伝えるときに「食べられる」という言い方が推奨されているが、僕は「食べれる」と言ってしまう。
「らぬき表現」といって日本語として間違っていると言われるが、「食べられる」は熊やライオンに食べられそうに聞こえる。
正しいと言われても腑に落ちないことの一つだ。
これは出身地の方言に由来するのかもしれない。
長野県出身のジャーナリスト・本多勝一は「日本語の作文技術」の中でこの問題について書いていた。
長野県や岐阜県では、おそらく「食べれる」と言うはずだ。
「ぜんぜんおいしい」と言う言い方も気になっている。
「ぜんぜん」ときたら「おいしくない」とつなげるべきだ。
「的を射る」を「的を得る」と、長いあいだ間違えて使っていた自分のことを思いだした。
恥ずかしい。
2024/04/24
鉋(かんな)を新調した。
「仕込み」を自分でしてみたかったからだ。
新品の鉋はすぐには使うことができない。
そのままでは刃が台にきつくて入らないし、台も木の乾燥で狂っていたりする。
それで、刃を整え、台を削って調整する「仕込み」という作業がいるのだ。
YouTubeを見ながら、半日かかりでやってみたがなかなか難しい。
まあ、こういうことを繰り返しながら道具が使いこなせるようになるのだろう。
いまのところ初心者で、早く中級くらいに成長したいものだ。
日本の鉋は引いて使う。
諸外国の鉋は押す時切れるような構造だ。
大工道具のこの辺の事情は面白い。
のこぎりも日本は引くが西洋では押して切る。
そういえば、のこぎりで切断することを「鋸挽き(引き)」と言ったりする。
この辺の原因は民族性にあるのかもしれない。
狩猟民族と農耕民族、それぞれの自然に対する姿勢が 道具に表れるのではないかと思ったりもする。
いい加減な推測だ。
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ひ・く 0【挽く】
(動カ五[四])〔「引く」と同源〕
① 刃物などで物を切ったり削ったりする。「鋸(のこぎり)で丸太を―・く」「ろくろで―・いてこけしを作る」
② ひき臼やその他の道具で,粒状の物や肉を細かくする。「そばの実を石臼で―・いて粉にする」「コーヒー豆を―・く」〔臼(うす)でひく場合は「碾く」とも書く〕
2024/04/23
日本各所に砥石の産地があって、良質のものはまるで宝石のような値段だ。
もちろん人工砥石もあって、こちらも研究が進んでいるから安定した品質で信頼感を得ている。
しかし、もともとは天然の石を刃物研ぎに使っていた。
自然のものなので採石を続けたら無くなるのだろう。
石版画に使う石版石は、ドイツのソルンフォーヘンというところで採れた。
一時は世界中の印刷屋さんがこの石を使った。
そのため印刷用の石が底をつき、それに替わる素材として亜鉛やアルミのような金属板を使うようになった。
金属板を使うようになった理由は、オフセット印刷機(輪転機)の発明があったためでもあるが、当初は自然物を利用したのだ。
で、高価な砥石も使っていくと減る。
長い時間がかかるが、確実に減っていき最後は無くなる。
刃物も同様で、研げば研ぐほど減っていき、その形を失うだろう。
化石燃料の問題が近年ささやかれるが、これも自然の遺産だ。
いろんなものを喰い散らかして人類は生き延びている。
2024/04/22
庖丁研ぎの情報を漁っていて「あま切れ」 という言葉を知った。
鋭く研ぎ上げられていないのに切れるように感じる、その感じ方のことだという。
初心者の僕は、まだその感覚が解らない。
研ぐことには熱心だが、庖丁をちゃんと使い込むことをしていないせいだろうな。
感覚は知識ではなく、身体でしか解らないものだ。
一般に、鋼(はがね)は炭素の量で硬さが変わる。
炭素量が多いと硬く、少ないと柔らかい。
硬くても柔らかくてもきちんと研いだらよく切れるが、柔らかい鋼の庖丁は弾力があり刃先が長持ちするように感じる。
これを「あま切れ」と呼ぶようだ。
逆に硬い庖丁は刃先が欠けやすい。
つまり、柔らかい鋼は欠けにくく、硬い鋼材は欠けやすいということだ。
したがって、料理の目的によってこれらは使い分けなければならない。
骨さえも切ることがある出刃包丁は硬い庖丁だと欠ける。
柔らかいものを切る刺し身庖丁などは、硬い材料の方が良いのだという。
いずれにしても、刃物は使っていると切れなくなる。
だから研ぎが必要になる。
2024/04/21
版画や水彩画用のアルミ製額を、以前よく購入していた。
鉄で自作するようになってからは買わなくなった。
もう20年近く自分で額を作っている。
フレームを作品の一部だと位置づけたことが発端だ。
既製品だと、どうもしっくりこないことが多い。
倉庫の整理をしていて古いアルミ枠(美品)が出てきたので、自室に掛けてみることにした。
額装中に異音がして留め具が折れた。
他のモノも力をいれるとパキッと折れる。
劣化している。
無理もない、20年近く前のフレームだからそういうこともあるだろう。
この部分だけ販売していないかネットで探す。
「弓形バネ」という商品名だった。
一個44円。
折れたバネと同型だ。
送料を考えたら、安いような高いような価格設定だ。
金属でできたバネもあった。
こちらは「マルニオリジナル額縁用部材・アルミ額用バネ」と書かれてある。
申し合わせたように一個44円。
同じ値段なら、弓形バネよりお値打ちな気がする。
20年経っても折れたりはしないだろう。
これを買うか。
あるいは、この代用品を自作するかだ。
倉庫に転がっているファイバー入りホースの端切れを輪切りにしたらどうだろう。
ホースの弾力と厚みがちょうどよいように思う。
上手くいくなら、耐久力とコスト面でもすぐれていそうだ。
2024/04/19
キャンバスに描かれた作品を額装しない展示が増えたように思う。
仮縁(かりぶち)というものも見かけなくなった。
と思うが、公募団体展などは、さすがに事情が違うのだろう。
額縁が無いと、キャンバスの厚み、すなわち側面が見えてしまう。
作品保護の観点からは問題を生むが、表現を優先したら額が不要になった、ということだろう。
この問題に関して作家側にはそれぞれの思惑がある。
で、その側面処理なのだが、タックスを使ってキャンバスを張り、汚れがあっても気にしないでそのまま展示をするタイプ。
また、キャンバスを裏まで回して張り、側面はきれいな「白」のまま残し展示するタイプ。
乱暴に大きく分けるとこの2種類があるようだ。
これらはそれぞれに理由があるはずで、それは推測できる。
キャンバスの側面は「見せない」のではなく「見せる」ように意識して制作している。
つまり表現にとって必要なものなだという考えだ。
絵を見るということは、側面をも併せて見ることなのだろう。
見るものが自ら動いて、絵画を立体的にとらえる仕掛けを作ることでもある。
2024/04/18
加工物を固定して、位置決めをしたり、加工しやすくする補助工具を「治具(じぐ)」という。
そういうものを工夫して作るのが結構面白い。
昨日は角材を90度、あるいは45度に正確に切断するための簡単な治具を作った。
YouTube動画を参考にした。
治具無しできっちり正確に切るのは修行の粋だけれど、道具を使うと僕のような素人でも正確に切断できる。
ボタン磁石を使うというのはナイスアイデアだ。
ノコギリが磁石にくっつき、単にノコギリを引くだけでキチンと切れる。
なんと素晴らしい。
2024/04/17
最初に、大きめの石が2つ置かれていた。
その光景を想像してみる。
いい眺めだなあ。
そこにバケツと植木鉢を一個づつ乗せる。
その状態を想像してみる。
いい風景だなあ。
その上に庭仕事で残った土や鉢を、とりあえず積み上げる。
その様子がこれだ!
2024/04/16
写真表現としての丸い形(フォーマット)の例は希少である。
それはカメラのファインダーが矩形であったことに起因している。
世界を四角く切り取る道具としてカメラが生まれたからだ。
写真は四角いものであり、だからこそ同じ四角い形式の絵画を意識しながら今日まで発展してきた。
一時期ピクトリアリズムに傾倒したのも、絵画へのコンプレックスからであったし、同じ矩形という土俵を意識することで共に切磋琢磨してきたのだ。
丸い形の写真として、焦点距離の短い円周魚眼レンズによる映像が一般的に思い起こされる。
しかし、魚眼レンズにおいては広い角度を描写するため被写体にある直線のほとんどは曲線として描かれる。
いわば非現実的な被写体の再現が行われるため、純粋に円形で対象をとらえる目的には向いていない。
指で円形を作り対象を覗き眺める時のように、もっと自然な方法で円形という「容れ物」を考えたかった。
ここで「構図」という造形要素が思い浮かぶ。
構図は絵画の問題として多くの研究者が研究を進めてきた。
しかし、円形写真については、これらの構図の考え方をそのまま適用できない。
円形写真には独自の造形原理がある。
それは中心点というものから派生するものである。
中心の点がないと円形が生まれない、という宿命のためである。
2024/04/15
都会には土がなく、田舎に行くほど土の露出が多い。
多いのはいいのだが、放っておいたら雑草が生える。
生えるのは仕方ないことだが、これが気になる環境もあって、草が生えないように工夫をするのだ。
それがこれ。
一般的には黒いビニールシートのようなもので地表を覆う。
しかし、穴が空いたり隙間ができるとそこから草が生える。
で、空いた穴や隙間、余分な空き地を別のものでとりあえず塞ぐ。
それがこの状態だ。
秩序ある散乱というべき光景だ。
自然に任せるのではなく、人の意思でゴミの散乱が手伝われている。
ぜったい雑草を生やしたくない・・・そういう純粋で真っ直ぐな気持ちがこれを作らせたのだ。
いわゆる美意識は介入していないはずだ。
美術とは遠いこの風景は、しかし、あんがい芸術に近い問題を含んでいるようにも感じる。
そう感じるだけで、うまく説明ができない。
2024/04/14
夕暮れに助手席から撮った。
沈む太陽のイメージが信号機のかたちと重なったので慌ててシャッターを押した。
なぜか対向車のライトが一つしか点いていない。
太陽と信号機、信号機と車のライト。
写真を読むことで、こういう2つの関係が後から見えてくる。
写真は撮影者見ようとしたもの以外も記録する。
風景を読むのが写真なら、撮られた写真も読む対象になるということだな。
ブレッソンの「決定的瞬間」というのはこのようなことを指すのだろう。
作者の意図を超える出来事がそこに写っているということに違いない。
2024/04/13
眉に唾を塗っておくと狐や狸に化かされないという俗信があって、騙されないように用心することを「眉に唾(つば)をつける」という。
「唾をつける」と、単独で用いることもある。
この場合は、「他人に取られないように、前もって手を打っておく」という意味だそうだ。
他人の唾がついたものは誰も気持ち悪くて触らないから、そういうところが語源なんだろうか?
しかし、この件についての明快な語源説明が見当たらない。
スーパーで、備え付けのビニール袋の口が開きにくく思わず指先を舐めそうになり反省した。
衛生的に好ましい行いではなく、現代では嫌われる。
紙幣を数えるときに昔の人は親指と人差し指を舐めた。
大工は滑り止めのために、キリモミする両手のひらに唾をかけた。
小さなホコリのようなゴミを取る時、指先につけた唾液を利用したこともある。
鉛筆の先をちびちび舐めたことだってあるよ。
そうすると、黒い色がより濃くなった。
切手を貼る時も舐めた。
しかし、今は僕はそんなことはしない。
ムカシは普通にしたな。
友人の陶芸家に、お土産にもらった茶碗をみせたら、いきなり高台を自分の舌で舐めた。
焼きの温度を知るためだという。
未使用なのに彼の唾液が僕の湯呑みに染み込んだ。
そんなこと、数え上げたらきりがない。
しかし、時代は変わった。
体外に出たあらゆるものは、たとえ自分のものであっても、汚い。
出るまでは汚くない、という不思議。
2024/04/12
ナイロン砥石というものを初めて知った。
古いものらしく「昭和レトロ」という売り文句でメルカリで売っていたのだ。
安価だったので、研ぎ道楽の僕は面白半分で早速買うことにした。
試しに使ってみたら、ナイロンという語感とは異なりザラザラと硬い。
グラインダーの目の細かい砥石の質感に似ている。
水なしで使うものらしいが、水なしだと砥石の目が詰まる。
結局、普通の砥石のように水に漬けて研ぐことにしたら使えるかな・・・。
斧や鎌など、こういうものを研ぐには良いみたいだ。
しばらく使ってみないとわからない。
説明書に「婦人・子供で楽しく使える」と書かれてあるが、この表記がいかにも昭和だと思った。
令和の時代では許されない気がする。
しらんけど。
2024/04/11
「護謨印畫法・小野隆太郎 著」は大正14年2月に刊行されている。
大正14年といえば西暦1925年だ。
今から99年前。
19世紀末欧米のピクトリアリズムの影響から日本でもピグメント法の流行があった頃だ。
当時このような技法書が出版されていたということは、この技法が一般に活用されていたことを示している。
ちなみに、発行は小西冩眞專門學校出版部、発行所が小西六本店とある。
小西六とは旧六櫻社、日本のカメラ・写真フィルムメーカーである。
その後コニカと改名し、2003年にはミノルタと合併しコニカミノルタとなり、そのコニカミノルタは2006年にカメラとフィルムの業界から完全撤退している。
小西六の歴史をこの本によって思い出した。
大正14年。
電気冷蔵庫もクーラーもテレビもスマホもなかった時代だ。
グリュー液(ゼラチン溶液)の腐敗についての記載があった。
季節によっての扱い方や注意点まで書かれてある。
腐敗した液は使えるか・・・と言うようなところまでアドバイスがあって、リトグラフで使うH液のことを思い出した。(昔の石版職人はアラビアゴムに酸性を持たせるために腐らせ、自分の舌でその酸味をみて使ったという話)
クラシックカメラを使うときは、その時代の人にならないと使えない。
つまり、使えるような知識と手ワザがいるのだ。
昨日読み終えたが、新たな発見がいくつもあった。
100年前の職人になった気持ちで一からこの技法を学びたいと思った。
2024/04/10
「護謨印畫法・小野隆太郎 著」をオークションで見つけて買った。
15年前くらいに古本屋で見つけたのだが、高価な値段がついていて断念していたものだ。
今回、格安で売られていたので入手した。
大正14年2月発行の初版本だ。
この手の古い技法書は「護謨寫眞・ドクトル生田益雄 著」の2冊しか知らない。
ドクトル生田益雄は30年ほど前に購入していたので、ようやく2冊が揃った。
「護謨印畫」を以前からのんびり研究している。
なかなか奥が深く難しい。
2024/04/09
最近、思うところがあって円形写真を再開した。
長くこの撮影を休んでいたためか感覚が戻ってこない。
そのためか、以前撮った同じような被写体ばかりに目が行く。
何事も休んではいけないなあ、と思う。
もう十数年前に撮影したこの写真が自分ではよくできていると思っている。
欠けたカーブミラーが写真の円周に接しそうになっている。
ただそれだけの控えめな写り方が良いと思う。
洗練されない雑味も捨てがたい。
自画自賛ではなく「こうありたい」という願望こと。
奇異な写真が撮りたいわけではない。
円形のファインダーで眺める新鮮な風景を記録したいのだ。
2024/04/08
自然が作った形。
もちろん意味などない。
自然や偶然って、時々人間のような振る舞いをするよな。
2024/04/07
近所の生ゴミ回収所にこんなプレートが貼ってあった。
最初、町内の地図が古びたのかと思ってよく見たら、ゴミを出す人への注意書きだった。
消えそうな文字が書かれている。
「カラスいけいけ」というキャッチコピーが気になり、検索したらなんと カラス避け対策ゴミネット の商品名だ。
プレートには日光や風雨・温度差など、いろんなことが原因で塗装にひび割れがある。
それが地図のように見えたのだ。
人間が集落を作り道ができるが、その形と酷似している。
興味深い。
2024/04/06
土井さんが「料理を作ることと食べることはセット」になっている、と言っている。
そうだと思う。
生まれてこのかた 料理なんてしたことも無く、食べる側だけの人はいるかもしれないが、料理をして それを食べたことがないという人はいないだろう。
作って、食べる。
そのことで、他者に優しくなれる。
料理をすることは、食べる人を思いやることだ。
と、土井さんが言っていた。
その通りだと思う。
自分で食べる料理も、自分のために作るものだ。
だから、自分の身体に優しくありたい。
食材を選んでそれに触れて食すのだから、食は地球とつながっている。
「地球を食べているのだ」と言う土井さんの発言もよく解る。
食べる以上は自分の手で作ってから食べたい。
僕は、最近庖丁研ぎに熱心になってしまった。
包丁は研ぐけど料理なんかしたことがない人にならないように、うまく地球とつながっていきたい。
包丁研ぎも楽しいが、料理も楽しい。
味つけは せんで ええんです。
2024/04/05
徳利を持った信楽焼の狸。
いたる所に出没する。
かねてよりこの由来が気になっていた。
ネットで検索したらこのような記事が書かれてある。
https://www.nanairo-gumi.jp/jizake/sp/news/index.php?c=topics_view&pk=119
岡山の地酒のホームページだ。
狸の出で立ちは「八相縁起」といって縁起を担ぐ意味があるそうだ。
・笠(災難から身を守る)
・大きな目(周囲をよく見渡せる・見える)
・笑顔(お互い愛想良く)
・大きなお腹(冷静さと大胆さ・太っ腹)
・通帳(信用第一)
・金袋(金運)
・太い尻尾(しっかりとした終わり)
・徳利(人徳)
(岡山の地酒 ホームページからの引用)
写真の狸は水道蛇口の下に居る。
見ようによっては水を待つ狸のようにも見える。
二日酔いかもしれないな。
場所による意味の変容が面白い。
2024/04/04
小説の中に「丈夫で長持ち」「蒸発」「パンタロン」「肝油」「光化学スモッグ」「新左翼」「学生運動」「体制側」というような言葉が出てきて当時を思い出す。
当時とは1972年の頃だ。
52年ぶりに「恍惚の人」を再読したが、全くストーリーを忘れていた。
ただボケることへの怖さだけは漠然と記憶している。
それは18歳の想像力で推し量ってのものだった。
しかし、今は70歳。
想像力に頼らなくても身体感覚で理解できる。
年齢を重ねるごとに感じ方がリアルになる怖い小説だ。
小説のストーリーは忘れていたが、自分の息子(高校生 )の放尿する勢い良い音の記述の部分だけ頭の隅に残っていて、それが気になっていた。
記憶間違いかと思いながら読み進めるうちに、その場面が最後の方に出てきた。
その箇所との再会がなんだか嬉しかった。
嬉しかったというのもアレだが、記憶というものはつまらないことが引っかかって覚えているものなんだと思った。
つまらんことを52年間もだ。
肉体の衰えは、命の衰えだ。
命は肉体に宿っている。
命は人間であることを確認する通電状態のことかもしれないな。
本の装画が猪熊弦一郎だった。
2024/04/03
有吉佐和子は1984年に飛行機事故で亡くなっている。
1972年、41歳のときに「恍惚の人」を書いた。
手元にその本がある。
52年前。
本の古び具合が、時間の経過を示すモノサシのようだ。
1972年といえば自分が大阪に来て大学生になった年である。
「恍惚の人」は当時のベストセラーで、新聞少年をしていた18歳の僕はこの本を買って読んだ。
そのことを覚えている。
面白かった。
ただ、人間がボケていくことの切なさを他人のこととして読んだ。
今「恍惚の人」に限りなく近い年齢になって、今読んだらどのような感想を持つのだろう。
そんなことが気になって読み始めた。
1972年の空気が小説の中にも漂い、あの頃にタイムススリップする。
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■ 箱表紙に書かれていた著者の言葉(41歳のとき) ↓
数年前から私は自分の肉体と精神に飴色に芽吹き始めた老化に気づき、同時に作家としてこれは最後まで直視しようと決意していた。外国へ出かけると老人の施設を隈なく見学し、現代にあって老いて生きるのは自殺するより遙かに痛苦のことであると悟った。科学の進歩は人間の寿命を延ばしたが、それによって派生した事態は深刻である。私はよりこれ以上年をとってからでは、もう自分でこうした小説は書けなかっただろうと思っている。(有吉佐和子)
2024/04/02
人間の寿命は、どう頑張っても120歳らしい。
平均寿命は、男性80歳、女性が85歳というところだろう。
まあ、これはあくまで平均であって個人差がある。
仮に自分の寿命が80歳としたら、満70歳の僕はあと10年生きることになる。
いずれにしても過去の人生よりこれから先のほうが短いはずだ。
3月末に定年退職となって、これからをどう生きるかを考えている。
だからというわけではないが、吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」を読んだ。
古い著作だが、二三年前ベストセラーになったので、今さら感がないわけでもない。
きっかけは、先日宮崎駿の脚本・監督によるアニメファンタジー「君たちはどう生きるか」を観たことだ。
これもまた 今さらというタイミングでもあるけれど。
当初、吉野源三郎の小説が原作かと思ったがそうではない。
原作はアイルランド出身の小説家、ジョン・コナリーの「失われたものたちの本」だと言われている。
ただ、「君たちはどう生きるか」は同じ題名の作品なので、吉野から何らかの触発を受け制作されたものだろう。
映画の中で吉野源三郎のこの本が出てくる場面があるほどだから間違いない。
宮崎駿はすでにあるこれらの小説をどのように解釈し作品化したのだろう。
その興味から「君たちはどう生きるか」を読んでみたのだ。
小説は前半・後半に分かれているわけではないが、僕は前半の「貧しき友」あたりまでがとても面白かった。
後半は、小説であることを忘れたかのように間延びしていて、読む速度が遅くなってしまう。
宮崎駿が触発されたとしたら、おそらく前半の宇宙規模の空想の部分だろうと思う。
後半のナポレオンとの勇敢さ・偉大さについての記述にも興味を持ったかもしれないが、この部分は普遍性に欠けていて僕にはつまらなかった。
人がひととしてこの宇宙の中で平和に仲良く生きるためには、個々人がいたわりの心を持って、世の中の役に立つ人間を目指して勇敢に生きることである。
そういう内容がこれら二作品のテーマなのだろう。
そして、それはそのまま自分の生き方の目標のように思う。
2024/04/01