野洲市に行ってきた。

カメラを持って散歩することが楽しくてちょっと遠出をしたりもする。

最近は円形の写真を撮るために出かけるが、今日もそれだった。

 

なんの店か、空き家になった建物がある。

古びたショーウインドウにこんなものが置かれていた。

さんざんなことになっている。

どうも奈良の風景のようである。

ドロップの空き缶が唐突だ。

最初からこれか・・・あるいはあとから倒れたのか。

いずれにしても表現行為に似た匂いを醸し出す物品だ。

 

2024/09/28


刃が斜めに仕込んである。

イスカ仕込みと呼ばれる鉋だ。

 

手直しをして、実際に使うために購入した。

金槌の痕跡など、使っていた痕跡はあるが、刃口に隙間がない状態だったので、恐らくちゃんとした道具として使われていなかったと思われる。

 

刃は錆を落とし、酸化被膜処理をしてからしっかり研いだ。

側面に意味不明の穴が空けられておりこれも塞ぎ 台を調整し、全体に薄く椿油を塗って「油台」風の鉋に仕上げた。

ただ刃口は削りすぎた気もする・・・。

試し削りをしたら、まあまあの切れ味になった。

こういう作業は無心になって楽しい。

 

2024/09/27


大きく分厚い砥石の、台を作った。

これを使い切るにはあと30年はいるかな。

いや50年か、100年か・・・。

30年も50年も100年も、僕には無理な年月だ。

 

気が遠くなるほどの昔から、この世に存在していたこの石。

瞬きよりも短いつきあいになるが出会えて良かった。

 

2024/09/25


道具の手入れすることが楽しくて、要らん買い物をしてしまう。

使えるようになった。

産毛も剃れる。

産毛を剃るために研いだのではない。

 

2024/09/24


道具は丁寧に使い続けると美しくなっていく。

と、思う。

かなり使い込んだノミを見つけて買った。

柄も短い。

ここまで使うのだから、きっと使い勝手が良かったのだろう。 

 

サビがひどくて、現役時代のようなコンディションではないと思われた。

研いでみたら、結構深い腐食がある。

しかし、腕毛を剃ってみたらよく切れた。

腕毛を剃るために研いだのではないけれど、切れ味確認のために腕毛が犠牲になる。

 

2024/09/22


昨日は吉野に撮影に行ってきた。

9月も半ばとなり、真夏の日差しが少し弱まったのではないかと期待していたが、相変わらず厳しかった。

 

人の住んでいる生活感のある空気が好きなので、都会ではなく田舎へと足が向く。

どこの田舎町も人が居ない。

家の中で誰かが住んでいそうだが、静かだ。

恐らくどの家も老人が独居しているのではなかろうか。

 

明らかに無人の家もある。

本当に日本の未来はどうなっていくんだろう。

撮影に行くと、いつも暗い気持ちになる。

 

この写真も空き家の片隅。

こんなものを面白がって撮るが、未来を憂う気持ちを「表現」しているのではない。

銀行のカレンダー的な、日本の美を追求する写真でもない。

そういう感覚とは無関係に撮るので、人様の興味は惹かないだろう。

 

2024/09/18


円形写真を4つに分割してみる。

分解すると次のようなパーツに別れる。

01
01
02
02
03
03
04
04

 

2024/09/16


丸い写真を撮るときは「中心」が気になる。

中心を押さえたら、どのような風景も円形の中に収めることができるように思う。

 

円の中心に「現在地」を撮った。

そこに居た記録。

看板を見つけたら撮ってしまう。

 

2024/09/15


この夏、日中に撮影に出て 危うく熱中症で倒れそうになった。

怖くなって、しばらく外に出られなかったので、わずかに気温が下がると外出したくなる。

カメラを持って歩いたら時々の風景に出会う。

「作品制作」と言うが、僕の場合は風景と出会うことだ。

「出会い」だなんて、まるで李禹煥じゃないか・・・

 

2024/09/11


Double(第一集目の版下)
Double(第一集目の版下)

ものをふたつ並べて、相似形や対(つい)にする、そういう手法を好んでやってきた。

以前作った「Double」と題する三つ折りの簡単な印刷物もそうだ。

畳んだ印刷物を広げていくと、2枚づつの写真が眺められる仕組みになっている。

その写真集を2集作ってから数年経つ。

    

来春、奈良で個展をするが、この展覧会は円形写真を一列に並べようと思っていて、同時にA1サイズの折り畳み式写真集を作る予定だ。

シンプルにたたむ体裁にしたいが、そうするとどうしても折り畳んだ一ページに写真6枚という構成になりそうただ。

円形を6枚並べると、それぞれの写真が干渉しあう。

その干渉を上手く活かすやり方を見つけようとしていて、ちょっとしたパズルの気分だ

 

2024/09/10 


NEW TORK CITY 1966
NEW TORK CITY 1966

リー・フリドランダーのセルフポートレート写真集を持っている。

自分の影を配した写真を多く集めていて、一時興味深く眺めたことがある。

 

中での秀作はこの写真だと思う。

前を歩く女性の後ろ姿に自分の影が映っている。

汗や血や息づかいや・・・そういうものが写真に感じられる。

 

まねをして自分の影を撮って遊ぶことがあるが、いつも体温のない写真にしようとする。

おそらく肉体や、その「水分」を撮る気がしないのだ。

実は人間に興味がないのかもしれない。

 

2024/09/09


新聞紙を売っている。

「新聞」ではなくて、文字が印刷されていない「無地新聞紙」

見慣れた新聞サイズに畳んである。

価格は2695円。

高いのか・・・安いのか・・・。

 

小学校の大掃除で、新聞紙を水で濡らしガラスを拭いた。

汚れがよく落ちて洗剤要らずだった。

印刷インクの油分が汚れ落としに効果があるのだ。

 

最近はノミやカンナの刃を研ぐ。

庖丁も研ぐ。

研いだ刃物は新聞紙で包んでおくと錆びない。

これも印刷インクの油分が働いている。

 

で、油分の無い新聞用紙。

読むべき情報も油分もないものが、僕をなぜか誘惑する。

 

2024/09/04

と、書いてほかを見たら、この価格で古新聞が売られていた。

ペットボトルの水が発売されたときの感覚に似ている。

時代というかなんというか、世の中アッと驚くタメゴローだな。

 

2024/09/04


円形じゃないとだめだという写真を撮りたい。。

「丸く切り取った」というのではなく、最初から円い映像が撮りたい

 

2024/09/01