小杉なんぎん氏のFacebookに鷲田清一氏の「折々のことば」が紹介されていた。

鷲田氏は「折々のことば」の中で高橋源一郎氏のツイッター(現 X)を引用している。

日付を見ると 2018・2・19 とあるから6年前の朝日新聞の記事のようだ。

 

「誰かを論破しようとしているときの人間の顔つきは、自分の正しさに酔っているみたいで、すごく卑しい感じがするから」という部分だ。

 このような観察眼が自分にはなかった。

 

さもありなん。

その顔つきを想像してみる。

 

2024/02/26


「モネに包まれ」に行ってきた。

思いのほか・・・と言うか当然というか、展示会場はたくさんの人でにぎわっていた。

こういう時のことを「人を見に行った」と、古い言葉で言う。

印象派が人気なのを改めて知った。

 

油絵を始めた高校生のころ、例に漏れず僕も風景画を描いた。

その頃の油絵へのあこがれの気持ちが、甘く懐かしく思い出される。

画布の中には、明るくて健康的な光がいっぱい溢れている。

造形の基本が作品の端々に読み取れて、それもまた定規で線を引いたようで気持ちがいい。

 

睡蓮を描くようになって色彩が濁ってくる。

それはたぶん白内障を患って、自分の見る色が変わったせいだと思う。

細密に描く根気もなくなってきたようにも見える。

彼の絵への取り組み方がこの辺から変化しているようだ。

 

描き残しがあった。

1914-19年の「睡蓮」は四角い画面の2辺が描かれていない。

白い線のように描き残されている。

立派な額縁に入った絵なのに、絵と額縁の間に隙間があるのだ。

 

絵画とフレームのこういう関係について、近ごろ興味を持って眺める。

隙間は「できた」のか「作られた」のか。

そもそも額縁を意識して彼は制作をしたのだろうか。

 

イギリスロマン主義の画家、ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーが描いた1833年のヴェネツィアを描くカナレットという作品がある。

そこにはターナーが敬愛する画家カナレット(ジョヴァンニ・アントーニオ・カナール)がイーゼルを立てて絵を描いている姿が小さく描かれている。

細部を見ると額縁に入ったキャンバスに向かいカナレットが制作している様子が描かれている。

不思議な光景だ。

 

キャンバスを額に入れた状態、しかも現場でその状態を保ちながら風景を描くということは果たしてあり得るだろうか。

しかし、「ヴェネツィアを描くカナレット」ではごく自然に画家が額縁入りのキャンバスを使って風景画を描いているのである。

ターナーとカナレットは生きた時代が違うので、実際にカナレットの制作風景を写生したのではないことは明らかだ。

おそらくターナーは、カナレットへのオマージュとしてこの作品を制作したのだろう。

あるいは祭壇画における枠のような感覚で、その絵と枠(額)の親和性を意識しての行為なのかもしれない。

 

モネのこの「不自然な」フレームと絵の関係のことなどは、油絵がキラキラと輝いて見えていた10代の頃には気付かなかった。

今は油絵を見ようとしていない。

絵画の成り立ちについてへの興味の方が大きいように思う。

時間の経過とともに視点がずれてきたことを、モネに包まれながら感じた。

2024/02/22


保管していた砥石が割れていた。

特に衝撃を与えた覚えもない。

天然の中仕上げ砥石で、ややもろい質感だからこういうこともあるのだろう。

 

大きい方の塊の割れ面を 金属のこぎりで切断したら、鋸の刃がすり減ってしまった。

さすが砥石。

割れても砥石。

 

今後の割れを防ぐために木片で台座を作ってみた。

蒲鉾板に乗った木綿豆腐のようだ。

ふるさとの豆腐を思い出す。

 

2024/02/19


7年前まで、大阪美術専門学校に勤めていた。

だから もうそこには居場所がな無いが、25年前に卒業した学生さん達から連絡があって美専で会うことになった。

ちょうど卒業制作展の最中で、久しぶりに美専の卒展を拝見できたのです。

 

二人ともいい歳になっていたけど、学生時代と変わらない。

それが面白かった。

小学6年生の息子さんが一緒で、だから なんか不思議な時間やった。

自分自身も70歳になったなんて、不意打ちを食らった感じ。

信じられん。

 

2024年02月11日(日)午後4時25分が写っている。

 

 2024/02/12


 机の上の水差しは単なる「水差し」だ。机上に置かれた物品を「静物」と認識するには観念的な視点が必要である。そこにあるそれをどのように解釈するか、おそらくそういう問題について静物画は問うのだ。静物は生活空間の中にあるが、静物絵画の空間は平面の中にある。いや概念の中にあるのかもしれない。

 我々にとって空気のあるところが空間だということにしよう。しかし、金魚にとっての空間は水だ。ミミズにとっての空間は柔らかい土なのだろう。

2024/02/04


NIKKOR-QC 1:3.5 f=7.5cm

いつの時代のものかな。

蛇腹カメラについていたものだ。

ニコンレンズでは初めて見た。

珍しい。

非常にきれいな状態だったので、レンズだけ単品で買った。

今日、デジタルカメラにつけれるようにして撮ってみたら、激しいバブルボケだった。

ニコンのくせに、これまた貴重。

2024/02/02


こんな本を買った。

その名も実践 料理の味から追求した 包丁研ぎの技法」という。

 

包丁研ぎはいろいろなこだわりがあって楽しいけれど、味にまつわる繊細な部分に触れる内容も多い。

ネット上では ↓ 例えばこのようなものがある。

 

注意

研いだ包丁をすぐに使うと食材に金属臭がうつりやすいので、半日程度置いてから使ってください。

 

半日置く効果を僕には想像できない。

その場でよく洗い拭き取ったら良いように思うけど。

 

しかし、調べてみたら同様の記述がたくさん見られた。

公然の事実らしい。

知らなかった・・・。

 

どうも、食材の微細な味をわかる人間ではないようで、研ぎの真髄に迫れないように思う。

悔しい。

2024/01/31