Fujica 35-M は1957年に発売されたフジフィルム最初の35ミリ レンジファインダー式カメラだ。
発売当初は革ケースつきで15900円したという。
自分が4歳の頃だ。
そうやって時間の流れを自分の記憶から測る。
そんなにムカシではないと思いながら、数字で確認するともう68年も経っているではないか・・・。
フィルム巻き上げレバーは底面に、ピント合わせもカメラの背面のダイヤルを回して行う。
巻き取りクランクが側面に付いているカメラを初めて見た。
ローライ35を初めて見た時のような斬新さを感じる。
そんなカメラのレンズだけをデジタルカメラに移植してみた。
4歳の頃のレンズが、今を撮る。
2025/09/26
Leicaを製造しているのがLEITZ社だ。
そのLEITZ社がスライドプロジェクターを作っていたようだ。
オークションで見つけてレンズだけを購入した。
デジタルカメラに付けれるように改造をするためだ。
LEITZ PORTUGAL COLORPLAN CF 1:2.5/90 という名前が刻んである。
ポルトガル製か・・・新鮮な響きだ。
絞り機能をつけるためにいろいろ試行錯誤したがレンズの構造上無理だった。
しかたなく絞り開放で撮影するようにM42マウントで改造した。
開放のせいだろう、周辺がやんわり甘い。
ソフトな描写だ。
2025/09/24
KONICA auto S2は1964年に発売開始で、シャッター速度優先オートが搭載されたカメラだ。
1964年といえば東京オリンピックが開催された年で、僕は小学4年生だった。
ということは61年前のカメラ。
この機種のジャンクを買ってレンズだけをデジタルカメラに付けれるように改造した。
画角45mm、開放絞り値f1.8というスペックは、現在の一眼レフカメラのレンズにもない。
たいていf値2.8、あるいはせいぜいf2なのだが、それよりも明るい。
工作は不細工だが、改造によって30センチくらいまでは寄れるようになった。
カメラを分解すると内部の緻密な機械仕掛けに感心する。
技術者達のそういう完成度の高い仕事を、素人の自分が乱暴に解体することへの罪悪感がある。
心が痛む。
しかし、ジャンク扱いのカメラのレンズだけでも救いたい気持ちの方が大きい。
レンズは美しい状態で61年の時間を感じさせないものだった。
2025/09/20
わが家の小さな本棚の奥に「工藤写真館の昭和」という文庫本を見つけて読んだ。
ユーゴー書店のブックカバーで懐かしい。
たしかに自分が購入した本なのに全く記憶がない。
ページを開くと周辺が褐色に古ぼけていた。
書名に惹かれ買ったのはいいが、中身に目を通さなかったのだと、読んでみて確信した。
そんな本が幾冊もあるように思う。
「工藤写真館の昭和」は工藤美代子さんのノンフィクション作品だ。
彼女はこの本の中に出てくる「初枝」の実の娘である。
つまり自分の家族の歴史を忠実に書き残した作品でもあった。
彼女にとっての祖父「哲朗」の一生を辿りながら昭和を語る内容になっている。
僕はちょうど工藤美代子さんと同時代の人間なので、この物語を自分の人生と重ね合わせながら読んだ。
私にも兄弟がいて、父母がいて、祖父母がいる。
この三代の歴史は、自分にとって身近な歴史でもある。
なぜなら私自身がこの目で見た家族は祖父の代以降だから。
「写真師」という言葉が出てきた。
「写真家」でもなく「写真屋」でも「カメラマン」でもない。
古いその呼び方も新鮮だった。
文中には下記のように記してある。
「少なくとも、哲朗は写真師であることに誇りをもっていた。写真師とは、芸術的であり、かつ営業能力も必要であり、その上、時代を先取りする感覚を合わせて持っていなければいけない・・・といつも得意そうに言っていた」
古ぼけたユーゴー書店のブックカバーを外すと、真新しい表紙と帯が現れた。
帯には、講談社ノンフィクション賞受賞作品・・・と記してある。
ああ、おもしろい。
2025/09/16
PENTAX SLIDE 501というスライドプロジェクーからレンズだけを抜き取って、カメラに装着できるようにした。
実はこのレンズ加工は3本目で、過去2本はどうしても無限遠を出すことができなかった。
絞り機能を持ったレンズに改造したいのだが、そうすると正確に無限遠を出すことが困難だ。
ミノルタの銅鏡を使うと、かなりいい線までいくのだが完璧にはいかない。
恐らく60ミリ前後の画角がその原因だ。
技術と素材的な関係で今の僕にはできない。
それで、絞り開放で取りつける簡易版を作った。
ペンタックスのこのレンズの描写は今とても気に入っていて、M42マウントで使えるものを欲しいと思っての今回の改造である。
レンズ後方を風景に向けると、壁面に画像を結ぶ。
スライドプロジェクターレンズ本来の投影だが、カメラに取りつけると光は逆方向から入ることになる。
2025/09/14
Arco35 Jというカメラをジャンク価格で購入した。
初めて見るカメラだ。
普通のレンジファインダーカメラかと思ったら蛇腹式のカメラだった。
なんと蛇腹のくせに35ミリフィルムを使う。
シャッターが降りなかったが、フィルムを入れるとシャッターが切れる。
こういう造りのカメラってよくあるから、やってみて良かった。
しかし、ファインダー接眼部のレンズがない上に 覗いても汚れが酷く対象がちゃんと見えない。
やむなくレンズだけ取り出すことにした。
1955年製造ということだから、僕より3つ若い。
若いと言っても69歳。
身体はボロボロだが、レンズだけは美しい。
2025/09/10

国立国際美術館の「非常の常」展を見てきた。
映像作品を中心にした展覧会だった。
映画やテレビ、YouTubeとは違い、美術バタケの映像作品は退屈なものが多い。
いや、多かったというべきかな。
いつ終わるかわからない静かな映像が延々と続くようなスタイルは、アンディ・ウオーホルの「エンパイア」を思い出す。
コンセプチュアルで起承転結のない映像作品が多かった。
「非常の常」では、退屈させないように・わかりやすく・楽しめる・短編映画のように作られている。
そういう作家を集めていた。
このような映像が美術作品として増えるのは、それはそれで良いことだと思う。
とはいえ、昨今の美術館状況を眺めると、観客動員型というか劇場型というか、娯楽性に重きをおいたアミューズメント施設のような展示が多い。
いつぞやは、蜷川実花の展示を京セラ美術館で見たけど、あの展覧会も体験型空間を楽しむもので、遊園地に行くようなノリで観客はスマホ片手に写真を撮りながら行列をなしていた。
もちろん写真作品もあったが、ほとんど壁飾り程度の扱いになっている。
先日は草間彌生の展覧会を エスパル ルイヴィトン・大阪でやっていたが、あれも完全なアミューズメントだった。
草間さんの平面作品が好きなのだが、あの展覧会でもメインは「不思議な小部屋」だと思う。
美術を厳粛に見ないといけないというわけではないが、要するにどうやったら楽しんでもらい興業成績が残せるかという主催者の悲壮感が感じられる。
同時に観客の楽しみの質が変わってきた。
美術館で退屈な美術を見る機会が少なくなったように思う。
2025/09/10


1969年に発売された YASHICA Electro 35 GT というレンジファインダーカメラのレンズを取り出した。
当時の価格で29800円のカメラ。
56年前の1969年、日本の大卒平均初任給が31400だった頃のカメラである。
けっこうな値段だったのに、今はもう動かない。
レンズだけが使えそうなので購入した。
税込み1100 円。
YASHICA COLOR-YASHINON DX 1:1.7 f=45mmが付いている。
デジタルカメラに付けれるように改造した。
今日はこれを持って徘徊した。
山手に行くとまだ自然が残っていて、アケビの実がなっていた。
まだ青い。
2025/09/07
近ごろはプロジェクターレンズばかり触っていた。
たまにはちゃんとした撮影用のレンズを使ってみたくなり、今朝の散歩は HEXANON 1:1.4 f=57mmを付けた。
9月に入って朝夕に秋の気配をわずかに感じる。
しかし日中はまだまだ暑く、カメラを持っての徘徊ができない。
焼き付くような太陽の光と、その熱を蓄えたコンクリート道路。
過酷なその場所に雑草が生えている。
雑草なんていう植物ではなくて、ちゃんと名前もあるのだろうが 僕はそれを知らない。
2025/09/02