OLYMPUS WIDE(1955年製)というカメラをこれで三台潰した。

レンズを取り出すためだ。

しかし、残念なことに取り出したレンズは三台ともにカビの餌食になっていた。

それぞれ様々な治療をしたがダメで・・・もうこのカメラには近寄りたくない。

 

諦めきれず加工したしたレンズ[Olympus D.Zuiko F.C 1:3.5  f=4cm]を、デジカメにつけて奈良市内を散策した。

この改造レンズは、滲みやコントラストの悪さ、ピントの山の見つけにくさなど様々な欠点がある。

写真はほぼ全滅だったが、たまにこのレンズにしか撮れないような絵も撮れたりする。

こういう希少な偶然を楽しむには良いかもしれないが、リスクが多い。

色がどうしても気に入らず、白黒写真にしてみたらちょっと落ち着いた。

 

2026/03/29


二眼レフカメラには眼が二つ、つまり二本のレンズが付いている。

一つはピントや構図を決めるビューレンズ。

もう一つはフィルム面に光を与えるための撮影レンズだ。

この二本は同じ画角で同じF値(75mm f=3.5)を持っている。

 

撮影レンズには「絞り」機能が必要だが、ビューレンズにはそれが要らない。

あくまでも正方形のファインダーを通して、どう切り取るかを考え、ピントを合わせるだけのレンズだから・・・。

 

で、このビューレンズをデジカメにとり付けることができるように細工した。

ジャンクで買ったミノルタ58ミリのレンズすべてを取り払い、絞りだけを活用するのだ。

無限遠が合うように調節して、絞り機能付きの中望遠レンズができあがる。

 

武骨な形になってしまったが、まあこれもいい感じ。

なんだかヤドカリみたいな関係だな。

 

 

今日はあいにくの雨降りで外には出づらい。

天気が良くなったら、これを持って近所を徘徊したい。

 

2026/03/25


ピント調節のための構造部位にヘリコイドがある。

いったん外したヘリコイドがなかなかもとのように戻らない(ネジが噛まない)事がある。

外すときはスッと外れたのに、入れるときにはなかなかもとに戻せない。

ねじ山が合わないはずがないのに、別のカメラのパーツを付けるかのように拒否される。

そんな時は絶望的な気持ちになる。

掃除を繰り返し、グリスを塗り、長い時間をかけ挑戦し、ようやく奇跡的に合致したときは思わず「やった!!」と叫びたい気分だ。

そうかと思うと、何事もなく何度も外したり入れたりできる機種もあるのに・・・。

 

昨日はMAMIYA35のレンズ加工をしたが、この「MAMIYA-SEKOR 1:2 f=4.8cm」は二度ともとには戻らないのではないかと思うほど、まるで目を瞑って針穴に糸を通すような厄介なやつだった。

四苦八苦してようやく千分の一の確率かと思わせる幸運が訪れ成功した。

なんといっても奇跡の復元なので、もう二度と外したくない。

この状態を維持するために、ヘリコイドストッパーを取付けた。

 

このレンズには小さなカビがあり、IPA(イソプロピルアルコール)で拭いても落ちなかった。

ダメでもともと・・・試しに塩素系漂白剤の原液を綿棒につけて拭いてみた。

そうしたら、なんとカビ痕が消えた・・・。

凄い発見をしたものだ。

同じ悩みをかかえるオタクさんたちに教えてあげたいものだ。

オマケを言うと、オレンジクリーナーなども効果があることがわかっているけど・・・。

そんな訳でレンズは非常にきれいな状態になった。

 

透明感のある澄んだレンズなのに、写りはというと軟調だ。

シャープさはない。

これがこのレンズの個性のようだ。

うまく活かして良い写真が撮れたらいいな。

 

2026/03/23


あちらこちらで花が咲き始めた。

茶色や灰色の風景ばかり撮っていたが、この季節になると新芽や花に目が行く。

人間の心理とは面白いものだ。

生命の息吹を自然と愛でる。

 

昨日、所用で神戸に出向いたついでに「Ugein」という蛇腹カメラのジャンクを買った。

これはもう本当に使い物にならない代物だが、レンズが思いの他きれいだ。

調べたら1940年代の製造だという。

東亜光器が製造し、栄光堂が販売した日本のフォールディングカメラ、と記述がある。

80年も前のカメラのくせに、心臓部であるレンズだけは生きていた。

 

その心臓で撮影したら、やはり当時の写真になるように感じる。

決して褒められた写りをするわけではないが、独特の柔らかい空気が写る。

 

2026/03/18


近ごろは矩形に沿う線、あるいは面をファインダーをのぞきながら探している。

この場合のオレンジ色は標識の鉄柱。

花も撮りたいが、むしろ矩形に沿う線が主役だ。

 

2026/03/14


関根伸夫《位相‐大地》現象

 

2026/03/11


久しぶりに、ちゃんとしたレンズ(MC MACRO ROKKOR 1:3.5 f=50mm)を持って散歩した。

ちゃんと、とは言っても1966年製のミノルタのマクロレンズ。

近ごろよく呼ばれるオールドレンズというやつだ。

 

オールドメディアという言葉もちょいちょい耳にするな。

テレビやラジオ、新聞のたぐいを指すようだ。

FacebookやInstagramなんかの情報をニューメディアというのかな。

知らんけど。

 

古いというのは今を基準に生まれた言葉だ。

オールドじゃない新しいものは、どんなふうに世界をつくっていくのだろう。

 

2026/03/11


古いレンジファインダーカメラのレンズだけを取り出し、デジカメに装着できるよう改造している。

最初はレンズ自体の写り具合が見たくて改造を始めたが、最近は工作の方が楽しい。

もちろん写り具合も見たいけれど、だいたい想定内のことが多くて こちらの方は期待感が薄くなってきている。

ジャンクとして命を終えるカメラがかわいそうでもあり、せめてレンズだけでも生き延びて欲しいというような優しさも実はある。

ともかく様々な感情が入り交じっての隠居道楽だ。

 

昨日は Minolta A5 という1960年に千代田光学精工株式会社(後のミノルタ)から発売されたカメラを分解した。

レンズが外せず、まさに分解・・・あるいは切断といったら良いのか、そういう荒療治をする。

もう無理かと思って諦め、しばらく時間をおいてまた取り組むとあんがい活路が見つかる。

なにごとも、時間をおいて冷静に取り組むことが大事だな・・・ということを改めてこの作業から学ぶ。

 

レンジファインダーカメラは3点測量によって距離感を算出する仕掛けになっていて、ファインダーで見える被写体とレンズが見ている被写体にズレを生じる。

それを視差(パララックス)というが、近接撮影の場合構造上の理由でファインダーに表示できない。

仮に表示できたしたとしてもファインダー内の表示が非常に目障りになり実用的ではないだろう。

だから、たいていのレンジファインダー機は1メートル程度までしか近接撮影ができないように設計されている。

しかし、レンズ自体の能力はもっと近くまで結像するわけで、この点が改造レンズの目指す改良点もあるのだ。

 

今回は20センチまで被写体に寄れるようになった。

こうなると、なんちゃてマクロレンズだ。

その代わりヘリコイドがむき出しになる。

不細工というか格好良いというか、野性的というか、機械的というか、粗暴というか、危険というか、オタクというか・・・。

 

2026/03/06


昨日は京都市京セラ美術館の「日本画アヴァンギャルド」と桜水館での中立点|In-Between」を見た。

春の兆しを感じながらの久しぶりの京都で、外出しやすくなったと感じる。

 

日本画アヴァンギャルドというよりは、当時の日本美術の前衛展という印象だった。

日本画の前衛・・・とは果たして成り立つのだろうか・・・。

徳岡神泉のマークロスコ的な「日本画」があったが、あれは一つの回答のように思えた。

尖ればとんがるほど西洋美術に近くなってくるのは何故だろう。

 

桜水館というのは初耳だったが、行ってみて事務所や学芸の部屋のあった建物のことだと知った。

恐らく耐震工事のためかと思うが、内部が全部むき出しになっていて良い風景だった。

展示空間として良いか悪いか、いろいろ意見が割れるのだろうが僕は好意的に見た。

ホワイトキューブでは見えてこない、空間というものの骨格があらわになっている。

そこで作品を展開するのはさぞ楽しいことだろう。

 

昨日、改造したTaron 35 の「Tomioka Opt.Co. LAUSAR 1:2.8 45mm」レンズを持って出かけたので、何枚かの試し撮りができた。

 

2026/03/01